2019年10月29日 に初出の投稿

Last modified: 2019-10-29 10:49:45

All philosophy is nonsense, he was quite possibly saying, again.

Overrated: Ludwig Wittgenstein

僕は、この手の議論が研究者や思想家それぞれの見識において公表されることは望ましいと思っている。とりわけ思想家や哲学者と彼らの著作については、古典として尊重はしても軽々に神格化することは避けなくてはいけない。なぜなら、自然科学の著作は被害を引き起こす具体的な手段(兵器や工業製品や薬など)をもたらしうるが、哲学や社会思想の著作は被害を引き起こす動機をもたらしうるのであり、具体的な手持ちの手段があろうとなかろうと伝播する後者の方が本質的に危険だからである。そんなことくらい、我が国も大東亜戦争やオウム真理教の事件を経て大人の多くは分かっているだろう。

さて、僕はウィトゲンシュタインは overrated だとは思っていない。寧ろ科学哲学では既に殆ど真面目に読まれておらず、分析哲学の学生ですら、『論考』はともかく『探究』を通読した学部生がどれほどいるのか疑わしいと思っているくらいだ。もちろん仕方のない事情はあって、青色本など短い著作がバラバラに翻訳されていて、ウィトゲンシュタインを専門に研究しようという学生でもなければ手に取る機会がない。大修館書店の「全集」(とは言え、後から未収録の翻訳が続々と出ているのだが)も大型書店にすら置いてあるかどうかという状況だし、色々な出版社から出回っている翻訳は、素人として勝手に読むならともかく、哲学の学生として読み解くためには何らかのガイドが必要な筈の『論考』ばかりだ。つまり、ウィトゲンシュタイン(の著作)が overrated かどうかを論じる以前のまま、さほど変わっていないと思う。

そして、そもそも彼について書かれた著作の評伝や通俗書の多くが、彼の「奇行」に引きずられていて、これは欧米でも同じではないかと思うのだが、貴族趣味的なモルモットのように《あの手の天才》を扱う気風が感じられて強い違和感を覚えることがある。ちょうど、平田篤胤が何人かの人々(たぶん精神障害者)を自宅に招き入れて勝手に珍重したのと同じようなものであろう。もちろん、だからといって安易に(いや、薄々はたいがいのプロパーは分かっていると思うが)ウィトゲンシュタインを医学的に判定しようというつもりはない。しかし、これまた安易に彼の色々な言動を《天才》のステレオタイプに押し込めて回収しようとするのも馬鹿げている。凡庸な人間は、往々にして単に自分よりも頭がいいか業績を上げたというだけの人間を「天才」と呼んで差別する習慣がある。

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