2019年06月11日 に初出の投稿

Last modified: 2019-06-19 11:17:01

特に第二次安倍政権となって以降の話だと思うが、「美しい国」とか何とか如何わしいスローガンを振り回す保守層の教育や道徳に対抗して、左翼やリベラルだけでなく倫理学や哲学のプロパーも幾つかの通俗書で《道徳は他人から強いられるようなものではない》という論陣を張ってきた。しかし、中には更に進んで《道徳は教えられるようなものではない》と主張する人もいるらしい。

もちろんその一部は妥当であり、自分自身で納得する道理でなければ従うべきでないと言いうる。しかし、得てしてこのような倫理学プロパーの威勢がいいだけの原理原則の話は、現実の世の中では容易く自己責任論へ滑り落ちてしまい、結局は大学で哲学や倫理学を教えているような連中が最初から除外されるような、ワーキングプアや障害者や貧困高齢者といった人々に沼地で逆立ちしろと言うかのごとき《自立》を要求するようなリバタリアンや成金思想に堕する。

僕は、哲学プロパーが非常に安易に口にしたり書いている「自分で考える」とか「問題意識」といったフレーズは、素人や門外漢が(それこそ哲学的な反省なしに)目標としてはいけないことだと思う。これは何もアマチュアにありがちな安っぽいル・サンチマンとかではない。僕は大学のプロパーを闇雲に目の敵にしているわけではなく、単に自分自身の言動に哲学的な考え方を適用しようとしない自己欺瞞を断罪しているにすぎないのである。よって、同じことはアマチュアにも言えるし、誰にでも言いうる(というのが真の原理原則の議論である)。

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