Scribble at 2019-05-04 23:25:42 Last modified: 2019-05-04 23:28:08

長期休暇も終わりに近づいてきて、今日は連れと父親との三人で外出した。その帰りに、父親は一人で自転車を使っていたため、先に実家へ戻してから、僕と連れは二回目となる四天王寺の古本市を訪れたのである。ただ、もういちどだけ見ておこうと思っていた『考古学ジャーナル』のバックナンバーがなくなっていたので、もう一画だけ見て回って、すぐに連れが休んでいる四天王寺の休憩所へ戻って、四天王寺を出た。一冊だけ、『四条市史』(現在の東大阪市で言うと、生駒西麓の一部にあたる行政地域)の付録として出ていた写真集が 1,300 円くらいだったので、これからコンテンツを再び公開しようと思っている山畑古墳群の写真もあったから買っておこうかと思ったのだが、それほど貴重な写真でもなさそうだし、文章が情報として貧弱すぎるために、買うのはやめておいた。

実家に戻ってから、いつものように父親らと過ごしていたのだが、途中から再び裏庭に置いてあるダンボールを開けて古い資料や本を眺めていた。東大阪市立郷土博物館が手作りで発行していた『はくぶつかん』という小冊子や、僕が中学生でお手伝いに行っていた枚方市の交北城ノ山遺跡のパンフレット(30部くらい持ってる)や、発掘作業を撮影した写真などだ。そして、その中から関大の修士だった頃に提出して・・・取り下げた修士論文を見つけた。もちろん、僕は関西大学の修士号を授与されている。つまり、二年次の終わり(平成8年3月期)に向けて提出した修士論文を、わざと取り下げて、翌年に提出しなおしたのである。理由は、その修士論文に不満があったからだ。取り下げた論文は B5 版のワープロ用紙に25ページほどだが、学位を受けた修士論文は A4 版のワープロ用紙に100ページ以上の分量になっているため、枚数としてもそれなりの増補となっている。

取り下げた文章でも学部の卒論ていどとして参考にはなると思うので、公開しておきたい。しかし、そこで問題になるのが著作権だ。実際のところ正式な修士論文は、関大と僕のどちらに著作権があるのかどうか、サイトに掲載されている内容だけでは分からない。すると、第一に、調べて関大に著作権があれば、当然だが正式な修士論文の方は、当サイトでは公表できない文章である。第二に、取り下げた方の文章は正式に修士論文として関大に受理されたものではないため、この文章の著作権が僕にあるのは自明であろう。すると、取り下げた文章と正式な修士論文とのあいだに、著作権法での連続性があるかどうかが問題として残るかもしれない。しかし、時間としては取り下げた文章の方が先であるから、修士論文を盗用したり剽窃したという関係にはならないだろう。そういうわけで、取り下げた文章を公表することには大きな問題がないと思う。

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