2019年05月03日 に初出の投稿

Last modified: 2019-05-03 16:30:24

私は「情報技術が私達の社会にどのような影響を与えるか」という問題に興味を持っています。ここでは、最近進歩が著しい深層学習が、科学の営みにどのように影響を与えるかを考えてみたいと思います。「高次元科学」とでも呼ぶべき新しい方法論が現れつつあるのではないか、と思うのです。

高次元科学への誘い

もちろん僕のサイトに書いてきた文章をご覧いただいている方であれば、こんなものが「新しい方法論」でもなんでもないのは、よくご存知だろうと思う。海外の自然科学者なり情報科学者であれば、科学哲学・STS・科学史・知識社会学、あるいは認知社会心理学の研究者と共同で、こういう議論を積み重ねてきているわけで、いまや情報科学のプロパーどころか CS を出てプログラマとなっている実務家の中にも、現代の科学にとって確率・統計あるいは computation という概念が強いインパクトを与えているという前提でサイエンスを理解している人も多いだろう。

この手の、僕らシステム開発のプロから見てもしょーもないレベルのエッセイが都内の出版関係者にいつまでも喜ばれるのは、なんだかんだ言っても日本は昔から出版・報道に携わる人材の専門分野に関する素養が圧倒的に不足しているからである。

もちろん、日本の議論が昔からガラパゴスなり時代遅れなりのままだった一つの原因は、科学哲学や科学史や STS のプロパーやコミュニティが、啓蒙というものを根本的に誤解していたり無関心だったことだ。いつまで経っても、書き手としての学者や送り手としての出版社にとって、啓蒙書というものは、敢えて極端に言えば、コスプレ・デーにキャバ嬢が着てくるような女子高生の制服をあしらったイラストを表紙に描き、程度の低いマンガ(マンガという表現そのものについて言っているわけではない)や挿絵と、つまらない対話編や馬鹿げた口語体の文章で書けば、大学を出ていない人にでも哲学や量子物理や C 言語が分かるだろうという、はっきり言ってものを書いたり出版するプロとしての資格を問うてもいいくらいの無能どもが手がけてきた、欠陥商品である。

大学の研究者らがものを書いたり口で解説する才能に欠けていても仕方が無いとは言える。それを補正したり指導するのが編集者の役目でもあるし、的確な内容にまとめなおすのが記者や校閲担当の役目でもあろう。しかし、正確に何を伝えるべきかを聴き取り読み取るために、たとえば全国紙の新聞で自然科学を担当している記者の何割が博士号をもっているのか。この程度のハードルや基準を「権威主義」などと言って藁人形のように悪者扱いして叩いてきたのが、日本の「民主主義」であった。僕は、凡人に最適化するような(司法はさておき)立法・行政は社会科学として現実的かつ実効性のあるシステムだと思うが、日本では凡人どころか無能や馬鹿にまでハードルを下げて最適化してきたという不幸な歴史がある。

したがって、そろそろメディア・リテラシーやクリシンというテクニックを学んだり論じる以前の問題として、日本の出版・報道を担っている人々がそもそも情報や知識を扱う資格があるのかどうかを問うていい時期になっていると思う。現今の状況においては、このままいくと報道機関や出版社は人手不足から更にハードルを下げることとなり、残りカスみたいな若者を新聞記者や学術書の編集者として採用するくらいなら、ロシアやベトナムの高校生を雇った方がマシということにもなろう。

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