Scribble at 2019-05-01 10:39:36 Last modified: 2019-05-03 17:42:37

浜田耕作さんの『通論考古学』に付いている解説の中で書かれているように、考古学や歴史学ほど素人が簡単に専門家を自称する学問はなかった。現代にあっては、もしかすると「哲学」もそういうお手軽な学問の一つになりつつあるかもしれないし、そうあれかしと公言している人々もいるわけだが、ともかく考古学や歴史学がプロパーとアマチュアの差が少なく、また両者を区別する基準がはっきりしない学問だったことは確かであり、また森(浩一)先生のように一定の条件でそれを許容するべきだと言っていた方もおられる。

もちろん、森先生は何の勉強もしようとしない好事家や『歴史読本』の単なる購読者を考古学者や歴史学者として許容していたわけではなく、彼がしばしば語っていた「町人学者」というのはプロパー(専任)ではない学者という意味であって、学術の水準はプロパーと全く同じなのである。年老いた善良な田舎の郷土史好きな人物といったマンガ的な属性をどれだけ言い立てようと、その人物が考古学者や歴史学者である保証など何もない。

僕は、小学5年生頃から高校2年生頃まで考古学者を志望して勉強したり発掘に参加させてもらったり多くの史蹟や発掘現場や博物館へ訪れていたし、中学時代に歴史の授業を担当された恩師や、中学時代の社会科クラブで顧問をされていた恩師から考古学のプロパーとなるべく嘱望されていたし、森先生ご自身からも同志社の研究室に呼び出していただいたことがあったけれど、僕は考古学のアマチュア研究者、あるいは「考古学徒」だったと自分で言うつもりはぜんぜんない。

理由は明白である。僕は古文書が読めないからだ。

もちろん森先生も書いているように、学問はそれぞれの人が得意な分野で貢献すればいいのであって、僕も学問や学術活動が分業であり、コミュニティによって成立するという主張を支持する。したがって、或る学問に従事する人が弁えているべき必要条件を、文字通り不必要に増やしすぎることは、その学問の進展なり発展にとっては自由度や多様性が少ない硬直した成果しかもたらさない。もちろん、それでいい状況では、愚かな新参者が増えすぎることによって学問が撹乱されるリスクを避けるために、硬直性を敢えて選び、多様性を制限した方がいい場合もあろう。しかし、そういう硬直性や多様性は高度で厳格かつ公正な思想によって制御されない限り、ロクでもない結果しか生まない。考古学や歴史学においては、過去に「旧石器捏造事件」と呼ばれる巨大なスキャンダルを引き起こす遠因となったのが、学界や研究者グループの硬直性であり、皮肉にもそれはアマチュアを安易に登用して多様性の許容度を杜撰に広げることだったのである。

よって、どこまでを考古学徒としての必要条件に数え入れるかは、それ自体が議論するべきテーマでもあろうが、僕個人の基準としては、古文書を読み解けることは必須だと思う。どうして歴史学徒ではなく考古学徒の必要条件なのかと言うと、江戸時代以前の文献にも古代の環境を推定するのに役立つ記録があるからだし、そもそも日本人は「考古学」と言われて、安易にマンモスを追いかけたりするような時代の研究だという思い込みが強すぎるのである。考古学は正確に言って過去をテーマとしているのであり、当然だが鎌倉の考古学もあれば平成の考古学もありうる(しばしば三流の物書きが「考現学」(もちろん、今和次郎の言うものとは全く別の、単なる洒落で言われているアレ)などと称して愚にも付かない雑文を書き散らしているが、あれは「時評」のペダンティックな言い換えにすぎず、考古学や歴史学とは何の関係も無い)。江戸時代の古文書に書かれている内容から弥生時代の様子を推定するのに役立つだけではなく、それこそ江戸時代の古文書を読み解くことで江戸時代の考古学に役立つのである。

では、先に述べたとおり分業ということを考えれば、先土器時代の研究者は古文書を読めなくてもいいだろうか。あるいは熱ルミネッセンス法のような測定論を専攻しているなら不要だろうか。そうかもしれない。しかし、《僕にとっては》そうではないのだ。僕は、自分が古文書を読めないという事実一つにおいて、自分を考古学徒だったと言いたくないのである。

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