2019年02月25日 に初出の投稿

Last modified: 2019-02-25 16:52:06

今回は「科学にとって科学哲学は有用か」という議題設定だったが、「科学者にとって科学哲学は有用か」なら、伊勢田氏ももっと積極的に「イエス」だったのではないかと思う。つまり、科学者は科学だけをやっているのではなく、科学の意義を社会に伝えたり、倫理委員会に出たり、その他さまざまな価値判断をしたりしている。そうした科学的実践「以外」の場面で、科学哲学が有用・必要なのは間違いない。

視聴メモ:「科学と科学哲学――はたして科学に哲学は必要なのか?」…必要、ただし困ったときだけ(?)

意味不明だな。

科学者の thought や activity から切り離した science を科学者の誰が語るべき資格をもつというの? 哲学についても同じことが言えると思うのだけれど、そういう資格を現実にもつ人なんていないからこそ、(科学)哲学は science や scinece を構成する成果について研究するのである。・・・ということが分からないのであれば、たぶん科学哲学とか哲学がどうして science を研究するのか(もちろん個々の科学者の科学史的な事績とか、理論や概念を無視して「科学」という勝手に拵えたお化けを研究するわけではない)、一生分からないだろうし、分からなくてもいいよ、そういう人には。人類にとって何のリスクもないし。

もちろん、当サイトをご覧いただいている諸兄はご承知のとおり、僕はこの手の暇つぶしを(僕らのようなアマチュアならともかく、プロパーが)メタで延々と議論することには何の学術的な価値もないと思っている。「哲学が科学の役に立つのか」とか、「科学が哲学の役に立つのか」なんてことは、それぞれの問いについて関心があれば哲学者だろうと科学者だろうと各自で勝手に考えて成果を出せばいいだけである。そして、「哲学が科学者(である私)の役に立つのか」とか、「科学が哲学者(である私)の役に立つのか」なんてことも、それぞれ勝手にすればよい。要するに、学術研究者というものは、僕らアマチュアとは違って、何らかのプログラムにコミットして成果を上げることだけが「答え」なのだ。したがって、後者のような問いについては「これまでのところ、私の役には立たなかった」とか、「これまでのところ、これこれの役に立った」という答えだけが可能であって、それ以外に御託を抜かす暇など学術研究者にあると思っているなら、それは単に暇つぶしをするしか能がない証拠である。

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