2018年12月19日 に初出の投稿

Last modified: 2018-12-19 21:10:23

暫く論考に時間を費やしていなかった thanatophobia について、再び幾つか小考を加えたい。そして、その一つに喩え話がある。

もちろん僕が従来から述べているように、軽率な喩え話を哲学に持ち込むことは重大なミスリードを引き起こすので慎重でなくてはならない。そして、これは強調しておかないといけないとは思うが、僕は喩え話やアナロジーが哲学において不適当な思考だと言っているわけではないし、哲学について何かを表現するにあたって漫画やイラストが「低俗」だなどと言っているわけでもない。愚かなのは、そういう手法に飛びつく無能さや品性であって、表現手法や内容の愚劣さとは別だ。underdetermination や truth maker にまつわる議論の推移を仮にスポーツ・アニメで表現しようと、そんなことは都内のクズ編集者が勝手に作って売りさばくのだろうが(これまで、そんなことをしても殆ど意味は無いから「勝手にやればいい」と評してきたが、たとえ社会科学的なスケールで言って誤差ほどの影響しか後世に与えないとは言っても、やはり由々しきことは初期段階で叩き潰すのが適正な「文化的な防犯」というものかもしれない)、それはスポーツ・アニメで表現するからクズなのではなく、そういう方法が最も妥当だと言いうる根拠も正当化もない見識の分際で、いけしゃあしゃあと「表現」などと抜かすからなのだ。無能な編集者ごとき、本来は哲学どころかスポーツ・アニメを語る資格もないのである。

そういうわけで、そのような喩えでなくては語れないことなのかどうかを慎重に検討してから追加したい。

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