2018年10月17日 に初出の投稿

Last modified: 2018-10-17 21:21:43

SNS を使うようになってからずっと不思議に思っていることがある。それは、なんで日本のプロパーは殆どが日本語でものを書いているのかということだ。日本語で書けば英語で書いているよりも馬鹿が突っかかってきて面倒くさいのは誰でも予想がつくし、英語で学位論文を書いてアメリカの大学の学位を持ってる人だってたくさんいて、僕よりも段違いに英語ができるはずだろう。それが、どういうわけか頑なに日本語でしかツイートしないしブログ記事も日本語でしか書かない。比較だけの話だが、英語を使っているなと思わせるのは、せいぜい森岡さんと、あとは誰だったか、高等教育ネタの RT が多い、関東の「飯」か「野」という漢字の入った苗字の方だけだ。

それにしても、なんで関東の分析哲学の教員は「飯」とか「野」という漢字を使う苗字が多いのだろう。関東では、田舎武士の末裔しか分析哲学をしないのかな。いずれにせよ、明確に区別したり一人を特別に取り上げられないということは、失礼ながら五十歩百歩の業績しかあげていない証拠だ。そんなことだから、京都の田舎大学の「お勉強クン」に、分析哲学は儀礼的な型にハマッた議論に終始しているとかなんとか、何十年前かの修士の学生とかがよく言ってた(僕も関大で現象学の人によく言われたものだ。ちなみに三村さんではない)くだらない批評をいまだに言われることになるのだ。

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