2018年10月12日 に初出の投稿

Last modified: 2018-10-13 10:57:09

僕が情報セキュリティの実務家としてプライバシー法制に興味をもってるから知ってるという単純な事情だけではなく、プライバシー法制について国内のジッテイ(IME で「実定」という変換候補が出ない)法学、特に憲法のような公法から個人情報保護法に至る法律を扱う法律学者だけでなく、プライバシー権のような概念を扱う法哲学者・法思想家も、少なからずはプロパーとして知っているだろうとは思うのだが、非常に奇妙なことに、日本では個人情報に関する公の議論(つまりはネット上で簡単に見つけられる記事やページや発言)の大半は情報セキュリティの技術者によるものであり、法律学者の議論の殆どは鈴木さんを始めとするプライバシー法制のプロパーと、実は大半が技術どころかプライバシー法制すら正しく理解していない場末の弁護士によるものだ。

法哲学や法思想のプロパーというのは、その大半が別のテーマに携わっているのだろうとは思うが、いったいこの20年くらいのあいだ、何をやっているのだろうと思わないでもない。もちろん、同じことは僕らの分野にも言える。いったい日本の科学哲学のプロパーは existential risks とか、下らないシンギュラリティ・ブームや底の浅い統計学ブームや因子分析ブームに釘を刺すていどのことはできないのかと思う。もちろん、哲学者や思想家の「社会的役割」などというものはない。よって、僕も哲学者の一人としてそんな責務などないと思うのだが(哲学は、本質的にはプライベートな営みである)、大学教員だとか、行政機関の何とか委員になってる人間には、公共の場で自らの意見を数多くの人々(大学なら在籍している学生だけだろうが、行政機関の特別委員会などであれば更に多くの人々)へ押し当てるにあたっての義務や責任というものがある。そして、僕は日本の哲学専任教員、あるいは哲学にかかわる何ごとかを適当に下らぬブログや本に書いては小遣い稼ぎをしている無能どもが、しかるべき責任を果たしているとは全く思えない。せめて、自分達がクソみたいな文章を書き殴っている www において、プライバシーやネット中立性といった、アホでも気づく争点について何ごとか意見を述べる知恵くらい、東大や京大の博士号を取得しているていどの人間ならあろう。

結局、ふだんから自分達がネットでぶつくさと文句を言っている「日本の(教育・研究制度の貧弱な)実情」の原因というものは、まさにそういう実情に強い影響を与えている国の仕組みや制度について、君ら自身が哲学者や思想家として、55年体制の社会党や評論家のように文句を言うだけで、他に何もアプローチしたりコミットしないからだとも言いうるのだ。そして、ネットに関連して生じている幾つかの事案については発言すらしていない。その代わりに、黙々と昆虫のように、古典的な哲学書について学部生かと見まがうほど程度の低い要約や読書感想文を並べたり、大して重要でもない論文や読み物の低レベルな解釈を書き連ねているだけだ。

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