Scribble at 2018-10-03 18:09:20 Last modified: unmodified

Shin Hori @ShinHori1

→「教育勅語の中の現代も通用する普遍的部分」というのは、結局「教育勅語でなくても一般的に認められうる部分」ということだから(例:「学問を学ぶ」「法令に従う」)、それこそ教育勅語と何の関係もない、独立した道徳訓として教えれば良いだけで、教育勅語を持ち出す意味はまったくないのである。

https://twitter.com/ShinHori1/status/1047388551548039168

森岡さんは気軽に RT してるけど、やっぱり同意してるかどうかわからない RT はダメだと思う。もしこのツイートに同意してるなら、人文系の研究はやめなくてはいけないよ。著作の一部に普遍的な内容が数多くあることをもって「古典」として扱うことを否定するようなものではないか。普遍的な内容だけを取り出して学ぶだけなら他のリソースでもいいと切り捨て始めたら、同じことはプラトンやデカルトについても当てはまるだろう。このツイートが、教育勅語を持ち出してアナクロな道徳を教えようとする人々に反対するという主旨は分かるけど、大臣の発言を型について批評しても効果はない。やはり教育勅語は、他の部分に問題があるとか、どのように応用してプロパガンダをやったのかという点で批評されなくてはいけない。

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