2018年10月01日 に初出の投稿

Last modified: 2018-10-01 23:54:30

二束三文で買って読めるような「てつがくの本」なんかに、本当に学ぶべきことが書かれてあると思ってる人にこそ、まずは自分が何を考えて本を読むべきなのかを熟考してもらいたいと言いたいね。それが不要なら、君らが求めてるのは哲学というよりも宗教だろう。哲学書というのは、原則として読む側に何らかの対峙なり対決を促すわけだけど、宗教書というのは原則として読む側に対決なんて求めないのであって、ただただ命令するだけだ。つまり AI 以下の人間として生きたいなら、実際には古典的な宗教書にすら及ばない通俗的な「てつがくの本」を読めばよろしい。

ジョークがどうした、ケアがどうの、熟議はどう、いや勉強がどうとか、それともどうでもいい昔の文法がどうだとか、あるいはシステムや人工知能やビッグデータについてナウなヤングに受けそうなキーワードを並べただけのクソみたいな読み物を「てつがくの本」と称してばら撒いてる連中の品性下劣さは言うまでも無いが、そもそもそんなものに何かの「答え」や「ささやかなヒント」を求める方がおかしいというくらいの、まっとうな社会人としてありふれたレベルの見識すらない人間が哲学書を読むのは、実のところ危険だ。地域社会や家族という矮小なスケールではあっても、世の中に愚かな思想を広めたり温存させるのは、社会防衛の長期スパンの観点から言えば「反社会的」と言ってもいい。

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