2018年09月04日 に初出の投稿

Last modified: 2018-09-04 09:49:52

僕は高校時代はポール・ヴェーヌなどフランスの歴史思想に影響を受けたのだが、それと同時に親友から論理的な思考や説明を勉強した方がいいと言われて哲学や論理学にも関心をもつようになった。人が或る学術研究の分野に進む経緯というのは、往々にして偶然にもよるし、経路が一つだけとは限らないのである。そもそも既存の研究分野についてさえ、その partitioning として何か必然的な根拠があるというよりも、おおよそ歴史的な経緯で研究方法や対象が決まることもある。仮に「哲学」という分野を「この世界の全てに関する学問」と定義し、何を研究しても哲学であり、全ての研究者が科研費を哲学として申請しても、そのうち哲学ならざる何かが芽生えて、別の(alternative とまでは言えなくとも)分野が興ることだろう。たとえば「この世界に無いものやありえないものに関する学問」とか「この世界の全てに関する研究の妥当性に関する学問」である。そして、そういうアプローチを考案したり見つけたり、あるいは何らかの事情で既存の体制から弾き出されたりはみ出たり排斥されたところから否応なしに生じるようなものが、哲学の一つの姿であるとも言えるのではないか。

このようなわけで、Twitter ではバカが威勢良く分析哲学はどうの解釈学はどうのと昔ながらの党派的なポジション取りやヘゲモニー獲得合戦を繰り広げているが、しょせん社会科学的に言って自意識でしかありえない。そして、数々の特権的な概念を持ち出して哲学者の主張してきたことの多くが社会科学や精神分析学から見て単なる自意識でしかなかったのではないかと、それこそ「おフランス」の思想家が解読してみせたのは、もう50年近くも前の話であったが、逆に言えばたかだか50年前の成果を同じフランスの思想を持ち出している連中が簡単に忘却して自意識を捏ね繰り回しているのだから、笑止千万と言うほかは無い。かようにして、『グラマトロジーについて』を高校時代に斜め読みしたていどの経験しかない科学哲学プロパーにすらフランス思想を根拠にして笑われるのだから、素人科学哲学のようなことを口走っている何とか実在論を持て囃す昨今の日本の周回遅れのポモというのは、あいかわらず外国語秀才というだけの無能なお坊ちゃま集団でしかないという話である。(ちなみに、いま敢えて書いたように、マスコミが持ち上げている人々は、クソ田舎の高速道路がどうであれ、なんとか実在論がどうであれ、そのほか AI だのゾンビだのと通俗的な流行がどうであれ、はっきり言って全員が男だ。もっとも、女性の研究者にしてみれば、日本のマスコミに取り上げられても、せいぜい「哲女」と呼ばれて割烹着を着せられたり、プロフィール写真を萌えキャラの似顔絵に差し替えられるくらいなら取り上げてくれるなと言いたいかもしれないが。)

こういう、出版社や学界の権力者(あるいは、出版社に顔が利くという意味での権力者でもいいが)にしか顔を向けていない哲学教員などというものは、いつの時代にもいたとは言え、いまだに続々と輩出されるのだから、やはり大学・マスコミ・官公庁を組み合わせた高等教育システムなり学術研究システムには何か根本的な脆弱性があるのだろう。

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