Scribble at 2018-07-16 11:40:58 Last modified: unmodified

人は何にでも愛着を持つことができる。だが本物の、永遠の愛には――そんなものがあるとしたら――一度しかめぐり会えない。そんなことを猟師のホップは言っていた。これまでホップは何匹もの犬を飼い、かわいがってきた。だが今でも忘れられない、本当に愛すべきヤツは一匹しかいなかった――クランバンブリだ。

私訳 クランバンブリ

鬼界さんが翻訳したウィトゲンシュタインの『哲学宗教日記 1930-1932 / 1936-1937』で訳者が注釈し、またウィトゲンシュタイン自身も自覚していたように、彼はしばしば同じ考察を繰り返して記録している・・・しかし、こんなことがそれほど奇異なのだろうか。同じ話を繰り返すなんて高校生でもやることだ(それは何も若年性のアルツハイマーというわけではなく、たとえば周りの人々に、それが自分にとって重要なことだと訴えるために)。そもそも、考察したことを記録するにあたって、その人物の生涯にわたって記録内容は必ずユニークでなくてはならず、繰り返しがあるのは奇妙な癖や傾向だと考える方が、僕には酷い強迫観念に陥っている人だと思える。はっきり言って、そんなことを前提にしている方が「異常」だ。「クリエーティブ」がどうのと hatena ブログや Twitter のような掃き溜めに書き殴っているガキと同じではないか。ということで、同じ内容の考察が記録に残っているという事実については、それ自体に着目するべき理由があるとは言え、着目する理由が「異常」だからだとすれば、そのような(読み手の)着目にこそ反省の余地があると思う。

さて、この資料(「著作」とか「文書」と呼ぶのは憚られる)の冒頭では、ウィトゲンシュタインがグレーテル(ウィトゲンシュタインの姉)の語ったコメントに言及している [Wittgenstein, MS183: 29 and 62]。そこでは「エプナー=エッシェンバッハ」という人物が言及されていた。このエプナー=エッシェンバッハは、調べたらすぐに分かるとおり、19世紀から20世紀にかけてオーストリアで活躍し、女性として初めてウィーン大学から名誉博士号を授与された文筆家である。が、日本語として事跡が分かるのはこのていどで、彼女の著作は殆ど翻訳されておらず、また文学者として紹介されてもいないため、上記のようにドイツ語を扱える方が有志で翻訳してくれているのがありがたい(もちろん、著作権が切れているということを配慮している方でもある)。

話を戻すと、ウィトゲンシュタインは、クララ・シューマンが身体のハンディキャップなどを単純に欠損だとしか考えていなかったと思われる点で、彼女には何か「先天的な何かが欠けていた」([MS183: 29] なら「人間的なもの」が欠けていた)と言いうるのかどうかをテーマにしていた。そして、姉のグレーテルは、クララにはエプナー=エッシェンバッハならもっていたであろう何かが無かったというコメントを口にして、ウィトゲンシュタインもそのコメントが「すべてを要約している」と書いた。これはたぶん、「盲目の」(もちろん、当人にとっては単に自分を「ピアニスト」だと思っていても全く構わない。こんな言葉は、しょせん外から眺めているだけの人間が使う形容だ)ピアニストがいることをクララが知っていたのかどうかとか、そういう情報量の問題ではないのだ。

恐らく、ウィトゲンシュタインが自分で書いているように、手帳に書き記されたことなど彼が考えたことの一部でしかなく、たまたま言葉にして手帳に書こうとしたことだけが残されているにすぎないのである。したがって、一見すると手帳の内容は非常に薄っぺらくて底の浅い、昨今の与太話に出てくる言葉を使えば「意識高い系」と言いうるような、程度の低い自意識プレイにしか見えないのだが、たぶんもっと切実あるいは丁寧に扱われるべき思考や逡巡や反省や苦悩があったのだろうとしか言えない。手帳に残された走り書きから垣間見えると期待しうるものは(実際には、程度の低い古典研究者やエピゴーネンが勝手に妄想している、大哲学者の重層的で深遠かつ巨大な思想みたいなお化けかもしれないが)、残念ながら僕にはよく分からない。

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