2018年07月05日 に初出の投稿

Last modified: 2018-07-05 15:36:46

そろそろ technological singurality バブルも弾けてきた頃だろう。現実に人工知能や特別なアルゴリズムを使って医療や農業や物流で成果は出ているが、このスローガンを振り回している西海岸の IT 成金どもが夢見ているような不老不死など全くのタワゴトであることが、皮肉なことに時間が経つに連れて明確になってきていると言っていい。

ただ、哲学では早くも数年前には、最先端のテクノロジーについて語っているというだけのファッショナブルなゲンセツなるものは見向きもされなくなっていた。気の毒に、Nick Bostrom や Luciano Floridi らの業績などは、応用された分野(産業リスク論や情報科学)の目新しさを除けば、はっきり言って哲学的に何か重大な問いを引き出したり、古典的な問いを理解するための新しい視座をもたらしたわけでもなんでもない。こう言ってよければ、僕が研究テーマにしたいと思っている土木工学や栄養学についての科学哲学と比べて、さほどインパクトがあるとも思えないというのが大方の評価だろう。

ボシュトロムの著作は doomsday argument やベイズ主義のような科学哲学の古典的な議論と関連はあるから、せいぜいその延長として必要以上に過大評価せずに黙々と受け流していればよいが、フロリディの情報の哲学については、もちろん僕は Google+ で10年近くは Giuseppe Primiero さんの投稿を眺めているので、情報の哲学がそれなりの独自の成果を少しずつ上げていることは知っているが、やはり昨今の周回遅れのポストモダン研究者と一緒になって(哲学的に言って)底の浅い情報概念を振り回しているだけでは不十分である。いっそ、シャノンに関する研究を集めてアンソロジーにでもした方が情報科学プロパーとの接点も多くなって有益だろうと思う。

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