2018年06月19日 に初出の投稿

Last modified: 2018-06-19 15:13:55

なんか聞いたこともない海外の研究者が、フッサールは★2だ、ハイデガーは★0だと評しているのを、国内のプロパーが喜んでレポートしているらしい。もちろんそのような、ライトウェイトな語り口の哲学や思想が大昔から喜ばれてきたのは事実だし、何の不思議もない。古来からの哲学論争をセックスの体位になぞらえるとか、古典的な哲学書の「影響力」なるものをウンコの大きさに例えるような芸人くらい、昔からたくさんいるだろう。

何度か書いてきたことだが、問題があるのは、そういうことを「哲学への親しみやすさ」だと思い込んでいるバカな学生や編集者や新聞記者が多いということではなく(そんな人間は減らしようがない。世の中には「歩留まり」という概念がある)、そもそも哲学は親しみやすい必要があるのかと公に問う人がプロパーにすら殆どいないということだ。なんの被害妄想なのか、「哲学は何らかの或る特殊な状況に置かれた人々しかできないのではあるまいか」と言うだけで、反射的に「ファシズム」とか「エリート主義」などと口走る民主主義者とやらがいるし、逆に何の自意識過剰なのか、「哲学は何らかの或る特殊な状況に置かれた人々しかできないのではあるまいか」と言っては、それを「哲学とは外道なり」などと卑下して見せる、悲哀に満ちたハードボイルド小説の読み過ぎみたいな人間がいる。(というか、日本に生まれ育ったくらいで無条件に仏教用語が馴染むと思い込むバカなロートル哲学教員が日本から減らないのは、やはりイデオロギーとしてはナイーブな人間が多い証拠なんだろうか。)

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