Scribble at 2018-05-31 09:59:42 Last modified: 2018-05-31 10:13:33
ジュディ・パールがインタビューに答えている。ここ数年ほど、統計学と機械学習(というか、少なくともそれらの通俗書の出版)がブームとなっているようだから、両方に関わりのある causation について重鎮のパールが一般書を書く(http://bayes.cs.ucla.edu/jp_home.html)という。記事を少しだけ調べてみて、"causation" は一回だけ出てくるが、"causality" という言葉は全く使われていない。"cause" についてだけ語っているらしいという点が、彼のアプローチをよく物語っている。それでも、ラカトシュ賞は受けているのが皮肉な話だ(ちなみにラカトシュ賞については、受賞の事実が Wikipedia にすら掲載されていない)。
それはそうと、ラカトシュ賞の受賞者(作品)一覧を眺めていたのだが、やはり著作が1冊でも邦訳されている研究者は 1/3 くらいだし、ローゼンバーグやオカーシャのように概論が訳されているだけという人もいる。なので、頸草書房さんや産業図書さんや春秋社さんを始めとして訳出されている出版社には敬意を表したいが、やはり日本で翻訳がどんどん出ているのは「分析系」に偏っていると思う。もちろん、科学哲学はなにも英米の大学でやっていることだけが全てではなく、フランスの l'épistémologie もドイツの die Wissenschaftstheorie も含めていいわけだが、日本ではどういうわけか斜めから入り過ぎるというか(笑)、ロシアの誰も知らない人の本を訳したりするんだよね。得てして、その人物に関する「全体像」とか言い始める人が、その人物について何か論評する際のご意見番みたいな立ち位置になったりする、俗物らしい牽制があったりするわけだが、(翻訳の能力すらまともかどうかも怪しい)無能が何をやろうと無駄である。