2018年05月14日 に初出の投稿

Last modified: 2018-05-15 11:15:19

The Great Silence: Science and Philosophy of Fermi's Paradox (Milan M. Ćirković), Oxford University Press.

地球外の文明の可能性に比べて、そういう文明どうし(もちろん我々も含めて)が接触した証拠がないことを「ハート ‐ フェルミのパラドクス」などと言う。こういう単純そうな疑問を取り上げて真正面から取り組む本が出せるのは良い事だ。ということで興味深い本なのだが、僕はこういうパラドクスはそもそも成立しないと思っている。なぜなら、地球外文明の可能性が「パラドクス」を構成するほどの割り合いとして仮定されていることに根拠がないと思うからだ。これが「パラドクス」になるかどうかは、おおよそ次の二つの確率の値がどのていどのオーダーになるかに依存する。

・知的生命が誕生して一定の文明を築く確率 (A)

・そういう事例が(少なくとも光速で通信した手段の痕跡が測定可能なスケールの宇宙領域において)生じうる確率 (B)

もし A が 0.1 だとしても、光速を使う通信手段ですら経路上で電波が減衰し、殆ど我々には通信の痕跡だと分からないような電磁波しかやってこないほど宇宙のかなたでしか文明が発生し得ない、つまり B が相当に低いなら、そういう文明同士がお互いに通信の痕跡を「まだ」見つけていないのも分かる(この場合、既に他の文明どうしは、たとえばロミュランと他の未開の文明のように交信している可能性がある)。そして、そもそも A の確率が「パラドクス」を構成するほど高いという根拠がなければ、同じ条件を満たす星が地球のすぐ近く(とは言っても何光年も離れるが)の領域でたくさんある、つまり同じ条件になる環境の星が存在する密度が高いとしても、A の確率が低すぎるために、そもそも知的生命が発生などしないか、すぐに淘汰されたり外部からの影響の変化で死滅するなどのせいで文明を残さない可能性もある。

しかし、このような殆どレアアース仮説のような議論をしているからといって、そこからただちに我々という存在は「特別」であるという人間原理的な飛躍をしたいわけではない。なぜなら、この宇宙においてヒトが存在していること、あるいは知的生命体が誕生できたことに、何か物理的に重大で特別の「意味」などないからだ。人類が誕生したことは非常に稀であり、人類の内側の基準(価値観というやつ)に照らせば「幸運」なのかもしれないが、しょせんは宇宙全体で生じる現象の中では誤差や例外と言うべきことであり、それは大多数の些末な例外と区別しなくてはいけない物理的な根拠はない。

しかしながら、B が A に依存する(というか B は A によってしか「計算」できない)という理由で、以上の議論に反対できる。その場合には the uniformity of nature(自然の斉一性)をどうやって論証するのかが大きな争点となるだろう。現実には、自然の斉一性を論証するよりも前提して、そういう前提を置いても全く何の矛盾も生じないことを以て正当化するのが定番だが、もちろん局所的な領域を仮定して宇宙の全域が斉一的である必要はないと言ったところで、その外との相互作用が内側に影響しないという根拠の方が弱いだろうから、外挿にも一定の説得力はある。そして、A を計算するためにどういう星なり環境が必要なのかを特定できれば、それを「惑星」という単位で考えたときに、あらかじめ惑星の分布というデータがあれば B は算出でき、したがって A が高いときに B が低いなどということはありえないと言える。

だが、もちろん A が相当に小さな値であれば、A から B が計算できるとしても、やはり「われわれにとっての経験」では同じことが言える。非常に稀なことであれば、仮に宇宙が均一で一定の割合で知的文明が繁栄していたとしても、それらが交渉できる可能性は低い。そして、「パラドクス」の一方の角は「知的文明の交渉の痕跡が見当たらない」という経験に関する言明なのだから、やはりパラドクスが論理的なものでないという僕の推定は変わらない。

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