2018年05月08日 に初出の投稿

Last modified: 2018-05-08 22:09:03

さきほどジュンク堂の大阪本店へ立ち寄った際に、三中さんの新著が出ているのを見かけた。ちょうど10歳ほど上の方だが、もう人生の回顧録みたいなものを書いているらしく、昨今は40歳を過ぎてもガキみたいな研究者がたくさんいるのに60歳で早くも年寄り扱いされているとは、日本の研究者の「賞味期限」とはこれほど短いものかと思わされる。そら、他の方々も含めて通俗本の一つや二つほど書いて泡銭でも稼がなきゃやってられんわな。

で、些事はともかくハーバラ・スタフォードさんの著書が何冊かあったので眺めていたら、やはり三中さんの著書も合わせて、哲学における通俗的なイラストや表(「通俗的な」イラストや表であり、何も通俗本だけに掲載されているとは限らない)による偏見の強化というテーマは、それなりに掘り下げる価値のあるものだと改めて感じた。でも、そういうテーマに関連する著作は読むだけにして、僕なりの論説としてまとめるのは辞めようかとも思った。これは一つ間違えると(悪い意味での)博物学に陥る可能性があるからだ。いっぱい集めて大変だったねなどという、アマチュアの業績によくある Google の画像検索エンジンでもできるようなことをやるか、暇と金さえあればバカでもできるようなことを何十年と続けて、これまたアマチュアによくある自意識プレイに陥りかねない。そして、そもそも通俗書の危険性などというものは、そういう話題の他にも警鐘を鳴らすべき点が幾つもあるし、根本的な問題、つまり学問というものは通俗書で啓蒙などできない(通俗書で何かの疑問や興味を抱くことはあろうが、そういう人が全て学問やプライベートな思索を志すようになるのではない)という問題の方が論じるに値するだろう。たとえば、アニメで underdetermination を描いたり、ラノベの表紙にでも描かれるスケベな萌えキャラに demonstratives を語らせたところで、そもそも興味のない人間には無効だろう。

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