2018年04月07日 に初出の投稿

Last modified: 2018-04-07 07:56:58

以前に死のタブー化などないと書いた。ただし、テレビドラマやドキュメンタリー番組や小説やアニメや演劇などで描かれているのは圧倒的に「誰かの死」であり、脚本や小説を書いている当人にとっての死は全く埒外に置かれていると言える。こう評してよければ、死は記号としてメディアに溢れているということだ。そして、その描かれ方によっては、観ていて thanatophobia を発することもあるから、誰かの死という記号だからといって何かを薄めたり隠蔽しているわけでもないのだろう。あるいは、無頓着だったり敢えて放置しているという可能性もあるが。いずれにせよ、「死のタブー化」などとテーマを立てて論じている社会学者や生命倫理学者の方が、寧ろ死について議論が不足しているように思う。あるいは公表される前の研究やプライベートな思索においてすら、何かの割り切りでもあるのか、気にもしていないという哲学プロパーが多いという印象も受ける。しょせん、殆どの哲学教員も凡人ではあるから、たとえば核家族化によって身近に死んでゆく祖父母などがいなくなった状況では、大多数の門外漢と同じ条件でしかものを考えられないのも仕方はない。

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