2017年12月25日09時49分 に初出の投稿

Last modified: 2017-12-25 09:49:15

もう40年近くも続いている議論だけど、ファン・フラッセンの構成主義的経験論が「隠れ実在論」と呼ばれるのは無理からぬことだし、寧ろヒトの営為が根本的に有限であって epistemic closure を前提にするしかないという実在論的な仮定をもった経験主義だと言った方がいいような気がする。つまり、この宇宙なり世界に関するア・プリオリな学説を立てるにあたって仮定される実在論と、原子があるとかないとかいう実在論を混同してはいけないのである。もちろん、ここで立てる仮説が存在論的差異まで取り込む必要はないかもしれないが。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Google+ Twitter Facebook