2017年12月25日10時12分 に初出の投稿

Last modified: 2017-12-25 10:13:45

学校にスマートフォンを持ち込むことを禁止するという話題について、特に哲学関係のみなさんは海外の(それこそ表向きは成功事例しか見えてこないであろう)事例を持ち出して、ほら海外ではうまく使っているよ、などと薄っぺらいお話をしてくれるわけだけど、ちょっと横のものを縦にする外国語のお勉強ができるくらいで、哲学はおろか社会批評までできると思うなよと言いたい。

はっきり言えば、世の親御さんが気にしてるのは、そんな薄っぺらい海外視察や海外報道で語れるような「何割かの子供に期待できるバラ色の可能性」の話じゃない。そうではなく、震災からこのかた「リスク」という言葉や概念が登場する話題では常に日本の議論で(哲学者ですら)欠落しているとおり、 single-case probability としての「自分の子供がいじめで自殺したらどうするのか」という固有の事象に関するリスクについて、携帯を学校に持ち込むことが関係あるのかないのかということなのだ。はっきり言えば、子供の「何割」が携帯を有効に使っているとか、海外ではどうとか、子供の親にはそんなことはどうでもよいのであって、推論の上で必要なら彼らに納得できる筋道で説明するのがまともなアウトリーチなり公共政策に関する論説というものである。

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