Scribble at 2017-12-22 18:49:46 Last modified: 2017-12-25 09:51:13

人生がときめく知の技法

ネタにマジレスとはよく言ったものだけれど、僕は哲学に関しては愚直なので、とりあえず建前としてでも書いておきたい。矢田部さんとかも、この手の記事を RT や Like してる脈絡が分からない一人なんだけど、ストア派そのものはともかくとして、古代の思想をネタにした成金の暇つぶしというかアマチュア博物学みたいなお喋りの記録の何が「哲学」なのか、僕には全く分からない。結局、これまでフランス思想や一部の文芸評論をネタにしていたポップな思想家ワナビーの書き物が、昨今では科学哲学や分析哲学をネタにするようになったというだけで、80年代のニューアカとかがやってた「ポストモダンをどり」と何が違うのか。言葉に酔って、稼いで、みんなで騒いで、そして結局はこの社会を 1mm も改善できず、この宇宙についての理解を 1mm も前進させずに死んでゆくという、一種の厭世的で刹那的とも言えるセンチメンタリズムでしかないんだろうと思う。

要するに、自分たちの無能さに絶望して自殺しないために歯を食いしばってるだけにしか見えないんだよね。だって、お前たちじゃ絶対に無理じゃん。なんでいますぐに死なないのっていう。僕は、もちろん自分の能力に明白な限界があることは十分に信じているし、どういう点で限界があるかについても分かってもいるつもりだ。しかし、僕が仮に彼らよりも並外れたルックスで「売り物」になると自負できようと、『イケメンが語る! イケメン哲学史』みたいな本を書こうとは思わない。そんなことをするのは、哲学者としてまさに死んでいるのと同じだからだ。

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