Scribble at 2017-12-13 11:37:43 Last modified: unmodified

Oxford University Press の新刊で色の哲学について書かれた本が出るようで、ブログの記事が公開されている。こうした記事をざっと眺めても思うのだが、この primary vs. secondary という対比はヒトという生物の生理的な条件を所与とする「保存的」(あるいは、敢えて「保守的」と書いてもいいかもしれない)な議論に思える。たとえば、primary quality の典型は個数なのだが、これはヒトがいなくても成立する特性あるいは固有の本質と言ってよいのだろうか。僕はこういうものをそろそろ哲学辞典から棚卸ししてみてはどうかと思う。こうした基礎的な概念を考え直すという地道なところから始めて自分の考え方を組み立てていく方が堅実で、その成果も自分自身にとって有益なものとして出てくるんじゃないかと感じている。たかだか100年くらい前の流行にすぎないヘーゲル主義をリバイバルしたり、つまみ食いした自然科学の議論を持ち込んだり、アニメや映画について単に語るだけで、何かナウい(分析)哲学になると思っているようなパフォーマンスを幾らやったところで、そんなもんは「思想的な裸踊り」にすぎない(蛇足だが、その場の人間関係ではウケても本来の目的にとってクソの役にも立たないことを、僕は「裸踊り」と呼ぶことがある)。

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