Scribble at 2017-11-10 10:09:33 Last modified: unmodified

意識とかさ(笑)、目立つ話題一つについて風変わりな意見をもつという理由だけで natural born philosopher だと言える状況にしておけば、出版社も研究者も、まぁこう言っては何だけど楽にマーケティングを展開できるというわけだしなぁ。もちろん、何の根拠があるのか明確にできもしない「全体像」だの「体系」だのといった、多くの場合は単なる観念を頼りにして、そういう single issue creativity を叩いても仕方がないとは言えるけど。ただ、スケールが小さくなったというなら、思想史なり知識社会学なりの理由があるわけだし、それに応じて個々の分野の成果を活かしつつスケールの大きな議論は展開できるはずで、結局は関心がないんだと思うよ。だからジャズ音楽の分析哲学とか、気の毒だけど宇宙や人生を考えるうえではあまりにも矮小で特殊なテーマを弄んでは、「われわれは抽象的なレベルでの理論を維持しながら思考できてるはずだ」と、何の根拠もなく些末な話題に突進していってる感じがある。埋没していれば楽だろうけど、本当に、真顔で言いたいのだけど、ゾンビとか、印象派の絵画とか、分析的劇団四季とか(笑)、そんなもんをおしゃべりしていて、自分たちがポモの流行した80年代の青学とか慶応の学部生レベルだという自覚はないんだろうかね。

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