Scribble at 2026-10-07 10:50:07 Last modified: 2026-10-07 14:05:56
東野圭吾氏が亡くなる前年に出たという、いまとなっては別の意味でも感慨深いと言える作品解説だ。当サイトで公開している『白夜行』の解説や論評においても、参考になる話が多い(読者の感想も掲載されているが、「泣いた」とか「天才」とか、読み手の感受性や語彙の貧弱あるいは貧困にウンザリさせられるだけで目を通す価値はないと思う)。幾つかの論評で引用しているから、ここではさきほど読んでいて気付いたことだけ覚書ていどに書いておく。
それは、1990年に公刊された『11文字の殺人』という作品についての自著解説だ。その解説には、東野圭吾氏がデンソーに在籍していた時期に参加したセミナーのワークショップで、遭難した船の中で交わされた会話や取り引きについて東野圭吾氏が語っている話が短く紹介されているのだけれど、彼自身の価値観や判断基準が想像できる興味深い内容だ。もちろん、その箇所を読んだことがある方の多くが思うような、「理系人間によくいるサイコパス」という理由で興味深いわけではなく、或る事情なり決意などがあって一貫した考え方を困難な状況においても保つ人がいるという実例として興味深いのだ。そして、そういう人間性が現にあるということにより、長いストーリーだとか、長い期間にわたって、人がふるまう言動というものに説得力が生まれるのだという話なのである。これを、『白夜行』の雪穂や亮司について当てはめて考えることも興味深いテーマであろう。実際、東野圭吾氏は『白夜行』について「トラウマ」という言葉を使って解釈されることをあからさまに嫌がっている様子が伺えるわけであり、実は彼らの長年にわたって維持されていた行動や思考の基準とか志向というものは、必ずしも幼い頃の悲惨な経験や悲しい境遇だけで説明できるものではないのだろうと思わせられる。
なお、この「公式ガイド」は35周年版や25周年版も出ていて、初めて出たと思われる25周年版に、例の "kaizen" 氏がコメントを書いているのを見つけた。
「東野圭吾の甘えを感じるのは,大学,大企業,大作家の上に大の字であぐらを書いているにように思われる。」
厳しいことを言えば、確かに kaizen 氏の言うことも当たっている。東野圭吾氏の実家は時計屋だというが、彼は『あの頃ぼくらはアホでした』で描かれているとおり、幼い頃からテレビっ子であり、特に暮らしや衣食に苦労したという話はなさそうだ。実際、三人姉弟がそれぞれ高校や大学へ進んでいるし、東野氏に至っては予備校にまで通っていたのだから、現実には雪穂のような暮らしは(生野区で周囲に貧しい同級生はいたと思うが)経験したことがないのだろう。そういう視点からの貧困しか描けていないからこそ、記号的な描写で済ませたのではないかとも言いうる。実際、大阪でも「生野区」「西成区」というだけで貧困という連想をする人が多いのだが、現実には天王寺区や北区にも棟割り住宅やボロのアパートはたくさんあるし、生活保護を受けている人も多くいる。たまたま生まれ育った界隈の土地鑑を使って物語を設定したにすぎず、彼自身が貧しい暮らしについてどのていどの理解や経験や情報があったかは、実際のところ不明だ。