Scribble at 2026-07-10 16:03:44 Last modified: 2026-07-10 20:08:42

哲学にかかわる著作物を参考に読むという機会を数多くもつと、もちろん大学で専攻していたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、過去の業績について興味が出てくるきっかけも増えてくる。それは、何かの勉強なり研究をしている経緯で、誰かの著書を読もうとする必要に駆られてという場合もあれば、何かを考えているうちに自分が知っている範囲の人物や著作物を思い起こして、いちどは目を通しておこうと思い立つ場合もある。僕がいま読んでいる、アウグスティヌスの『告白』という著作物は、どちらかと言えば後者に当たる理由で手に取ったのだった。そして、これも当たり前のことだと思うが、『告白』を読んでいながら、引用されている聖書の字句について関心をもたない人も少なかろう(ちなみに、聖書は本来の書名というものがないので、僕は本のタイトルに付けるべき引用符を使わない)。アウグスティヌスによる「あなたがわたしのうちにおられないなら、わたしは存在しない」という表現の出どころである聖書の一節が、どのような脈絡で語られたものなのかを、前後の文章も含めて確認したいと望むことは、特に無駄なことでもなければ無意味なことでもなく、いわんや恥ずべきことでもあるまい。

幸いにして、僕は聖書を所持しているけれど、丹念に参照しようとしても幾つかの問題がある。第一に、三十歳代の頃に購入したため、いまとなっては文字が小さすぎて読めないっ! ハズキルーペ! みたいなことになる。僕は老眼鏡を使い始めて10年にはなるのだが、どうも老眼鏡をかけて本を読むのが苦痛である。子供の頃から眼鏡をかけてきた連れ合いも含めて、眼鏡をかけている人たちの苦労はいかばかりかと思わずにはいられないほど、眼鏡というのは忌々しい道具だ。しかし、その割に、僕は伊達メガネやサングラスの愛用者でもあったから、かなり個人の好き嫌いとしては矛盾するところがある。

ということなので、そろそろ文字の大きな聖書を求めておこうかと思っているのだが、アマゾンで調べてみると1万円近くもする。よく、子供の頃に自宅へ何度か訪れていたクリスチャンの人々から聖書を無料で貰っていた記憶が残っているので、いくら哲学者としての自分が必要としている著作物だとは言え、どうも自分が信仰してもいない宗教の教典を、自分で働いたお金を1万円近くも出して買うというのには抵抗がある。なので、これはやはり無料で公開されているアプリで表示されるテキストを参照するくらいがいいのかもしれない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る