Scribble at 2026-09-23 18:55:32 Last modified: 2026-09-23 19:08:34
ときどき、東京で雑誌の編集者をしていた1年ちょっとのあいだを思い出すことがあるけれど、冷静に色々と思い返そうとすると、実は覚えていて当たり前だと思えるようなことでも覚えていないものだ。
まず、僕は板橋区の西台に住んでいた。都営三田線の西台駅から数分、つまりは駅前にある「日神パレス西台」というワンルーム・マンションに住んでいた。当時は家賃が6万8,000円くらいだったと記憶している。さきほどホームズなどの物件サイトで調べてみたら、これだけ東京都内の不動産物件が高額になっていると報道されているのに、寧ろ家賃は5万5,000円ほどに下がっているようだ。恐らく僕が入居する直前に建てられたばかりのマンションだったろうから、既に築40年近いからなのだろう。で、まず勤め先は神保町の出版社だったから都営三田線に乗ればいいだけだったのが楽だった。ただし、雑誌の編集者なんて毎日のように終電に乗るかタクシーで帰るのが当たり前という生活だったから(バブルの真っ最中なので、高卒の契約社員にすらタクシー代や破格の残業手当が支給されていたわけである)、列車に乗っていたときの記憶はわずかに残っているけれど、実は西台駅を降りてから自宅へ戻る前の記憶が全くない。駅前の、当時はダイエーだったが、かろうじて店が開いてる時刻に帰れたら、何か買って帰っていたと思うのだが、そういう記憶も殆どない。たぶん、食事はたいてい近くのセブン・イレブンで買っていたのだろう。
更に困ったことは、自宅の室内がどうだったかという記憶もあまりない。会社で版下や原稿用紙を積み上げた机に寝ていたことも多かったし、帰宅すると寝るか、あるいは父親からたまに送ってくる原稿(富士通 OASYS の業務用マシンを使っていたので、ワンルームの部屋に置いた机は業務用ワープロに占拠されていた)をワープロに入力していたくらいの記憶しかない。給料が出ると大半を神保町の古本屋で使っていたような生活だったのに、自分の本棚とか、どんな本を置いていたかという記憶もない。せいぜい、休みの日に近くの荒川とか、前谷津川緑道という南北に長い公園で、ルーマンの『法社会学』(岩波書店)とかエールリッヒの『法社会学の基礎理論』(みすず書房)を読んでいた記憶が残っているだけだ。自宅は、たぶん寝るか副業するだけの場所だったのだろう。
こんなことを1年半ほどのあいだ続けていた。西台近辺での人付き合いも殆どなく(というか、住宅街なので、大東文化大学の周辺を除けば、もともと人が出歩かないところなのだが)、ただ単に雑誌の編集スキルが溜まっていくだけで二十歳を迎えた時期である。もちろん、自宅と編集部との往復、それから CD のジャケット写真のネガ・フィルムを宣材として借り受けるために、都内の色々なレコード会社へ行き来するだけの日々であった。行き先が殆ど企業であったから、もちろん全員が新卒ですら年上であったから、取引先としても相手にされないことも多かった。なにせ創刊したばかりの雑誌であったから、宣伝の効果が不明だし低いであろうと考えて塩待遇になるのは当然であろう。なので、たいてい頭を下げたり名刺をバラ撒いてくるのが僕の仕事の半分でもあったと言える。当然だが、そんな若造の相手をするのに、名前を憶えているような役職者が出てくるわけもなく・・・というのは言い過ぎで、例外はあった。僕がクラシック担当であったから、ポリドールだけは「ミキオ・モリ」と自ら名乗る人物が応対してくれたのであった。クラシックの音楽業界の方(と言っても高齢者だと思うが)はご存じだと思うが、どこから見ても正真正銘の日本人だが、まぁ色々な意味で有名な方だった。それでも、無名の雑誌編集者からやってきた高卒の若造の相手をしてくれたという事実は、確かに記憶に残っている。
正直、東京にいた頃の記憶は、あくまでも公の媒体で書ける範囲では、せいぜいこの程度だ。そうすると、これは10年に1度も思いつかないのだが、もし東京にずっといたらどうなっていただろうかと想像したりする。ちょうどバブルの頃だったから、高卒でもなんとか職にありつけたわけだが、雑誌の出版社が資金難で解散したあとに、そのまま出版業界でどこかに入れただろうか。あるいは、パソコン関連の仕事に変わって、そのままネット・ベンチャーのどこかに入っただろうか。それとも西台の周辺で、工場や飲食店などに就職して、絵に描いたような下町のオッサンになっていたのかもしれない。それを考えると、土地を移動するというのは、やはりその後の人生に大きな影響を与えるのだなと実感する。そして、いまのところ東京にそのままいなくて良かったなとは思う。確かに、そのままいたら、起業したばかりの楽天とか Yahoo! JAPAN に入って、いまごろはチーフなんとかオフィサーとなって、技術評論社かオライリーあたりからゴミみたいな本を出版していたかもしれないし、都内に一戸建てを購入して、寄ってくる連中から適当に妻に選んで、子供は筑波大の附属に入れたり・・・という、カスみたいな人生を送っていたかもしれない。それに比べたら、いまのほうがよほど楽しいし、難しい表現だが幸福だとは言える。