Scribble at 2026-09-27 11:17:22 Last modified: unmodified
論説では『白夜行』を優れた作品だと評価しているのだが、もちろん批判に値するかもしれない論点がゼロというわけでもない。たぶん、これから少しずつ読み込んで論説へ反映させる可能性もあるが、ひとまずここで取り上げておこう。それは、特に女性の読み手だと感じる人が多いかもしれないが、「男に騙されて犯罪に手を染める寂しい女」というテンプレである。
具体的には、第3章と第6章に出てくる西口奈美江と、第12~13章に出てくる栗原典子だ。どうもこの二人に設定されているらしき人格なり性格が、かなり定型化しているように思われ、「記号的」とまでは言えないものの、少なくともテレビ・ドラマの登場人物っぽい思慮の浅さを表しているように思う。実際、銀行の決裁フローや管理システムをハッキングするような冷静さや慎重さがあるにも関わらず、「男についてだけは」ものごとを冷静かつ慎重に見極め判断できないというのは、演歌のネタみたいな女性像だ。あるいは、勤務する病院からビオフェルミンや絆創膏をかっぱらうていどならともかく、青酸カリを無断で持ち出すというのは、薬剤師でありながら免許を剥奪されるどころか罪に問われるような行いであることが分かっているのに、「男についてだけは」ものごとを冷静かつ慎重に見極め判断できないというのも、まさにハードボイルドな映画に登場する貢ぎ役の女そのまんまだ。
したがって、このような点だけを取り上げたら、直木賞を逃した際の選評で多くの評者から指摘されたように、登場人物の煮詰め方が浅いと言われるのも仕方ないと思えるところはある。人物像としては、確かに東野圭吾氏が好んだ『あしたのジョー』を代表とする「昭和の男と女」というテンプレの図式だが、物事の是非や時代の新旧という違いだけに限らず、やはり文学作品としての精度や作り込みという点で評価すると、どうも不十分な印象を受ける。恐らくは連載小説という制約があってのことだろうとは思うが、もちろん時間に追われてというのは理由にならない。