Scribble at 2026-07-06 07:54:06 Last modified: unmodified
何かで最高の達人になるには何が必要か? スポーツからチェス、クラシック音楽まで、様々な分野で卓越するために何が必要になるかを解明しようと試みた研究が最近のScience誌に掲載された。それによると、やや直感に反するが、子供のころに当該分野で最も有望な成績を示した人が大人になってからその分野の頂点に立つわけではないことがわかった。
マス・メディアというものは、その活動の本質からして聞き書きや噂話(の捏造)をこととするので、耳目を集める通俗的な話題であれば何でも一通り扱う。業界紙や経済誌を自称していようと例外はない。
そして、大昔(それこそ瓦版)の頃から大衆が好み、そして大衆が好むであろうという、鶏と卵のような関係を理由に話題とされてきたのが、この手の「神童」や「天才」のエピソードだ。現在でも、将棋の藤井聡太や大リーグの大谷翔平など、この手のネタになる人々の業績と雑多なエピソードや、それらについての「分析」と称する膨大な後知恵には事欠かない。
もちろんだが、マス・メディアが報道する「天才」の事例というものは完全に結果論なので、どれだけ「天才を生み出すには」などと称して親や教師の証言を集めたり教育学者に話を聞こうと、まず科学的と言えるような規則性や原因は何にも分からない。そもそもマス・メディアの記者や論説委員ごときに、そんなことを突き止められるわけがないのだ。
この手の「天才登場(教育・発達)ストーリー」で最も多いのは、生育・発育する過程で加わる色々な条件を過大評価したり過小評価することだ。過小評価してしまう理由の多くは、もちろん条件があること自体を学識として知らないという無知や無教養による。そして、諸条件を過大評価してしまう理由の多くは、それらの条件について分析したり解説する人物の偏見やイデオロギーによる。通常、大学院で学術研究の(まともな)訓練を受けている者であれば、それらの双方について是正するべく指導を受けるのが当たり前である。こういう訓練を全く受けておらず(何度も指摘して気の毒だが、日本のマスメディアは下請けどころかテレビ局や新聞社ですら殆どのスタッフが大学院を出ていない)、報道各社の社内にも研修なり編集上のノウハウとして蓄積されているとは思えない現状においては、このような人の生育や教育にかかわる話題を、マス・メディアがまともに理解したり分析したり論じられるとは、とうてい思えないわけである。
そもそも、マス・メディアというものは、自分たちでは言論の担い手だと高邁な態度をとっているものの、実際には日本語を乱す元凶であり、これまで何度か言ってきたように「教育に新聞を」などというキャンペーンはただの販促であって、リテラシーや国語教育や教養の醸成とは何の関係もない。しかるに、彼らはここで取り上げているようなテーマにおいても、「天才を育てる」などという、通常の観念に照らせば矛盾しているとしか思えない表現を平気で使うわけである。もともと、われわれは「天才」という言葉を天賦の才、つまりは生まれつきの能力だと見做していたはずであるから、それらによって何かの業績を上げるかどうかは、当人が自らの才を自覚して顕現させるかどうかの問題でしかなく、育てることはできないと思っているはずだ。家庭教師をつけたり塾へ通わせたら自分の子供が「天才になる」などと思っている親はいないのである。
そして、この手の話は常に「他人事(ひとごと)」である。よって、彼らが業績をなしとげるまでのストーリーなどには興味があるとしても、それは殆ど『ハリー・ポッター』や『スターウォーズ』を観ているのと同じであって、「彼が」が成功しようと失敗しようと、結局はどうでもいいというものである。将棋のタイトルを8冠とも制覇したとか、ワールド・シリーズで優勝したとか、それはそれで偉大な業績ではあるけれど、別にそんなことが起きても我々の給料は上がらないし、殺された家族が生き返るわけでもなく、明日の期末試験で良い点がとれるわけでもないからだ。