Scribble at 2026-05-22 13:39:03 Last modified: unmodified
筆者は、現在のインターネットを「死にかけたデジタル有機体」と表現していて、広告、AIスパム、営利目的の侵食により、公共圏としての価値が失われたと主張する。しかるに、既存のインターネットと完全に非互換な「新しいインターネット」をゼロから構築すべきだと提案している。僕も、現状には色々な問題があると思っているし、ウェブなりネットに横行している通信内容やコンテンツの多くがロクでもないクズみたいなものであるとは思うけれど、しかし筆者が言うような「新しいインターネット」というのは、簡単に言えば「僕のインターネット」にほかならず、彼が理想としている人々との理想的な通信内容だけが行き交う「僕のインターネット」だけでは情報量もインフラとしてのスケール・メリットもなくて、矮小な割には高額な料金となってしまう。すると、多くの人々が構築している「僕のインターネット」どうしを接続してスケール・メリットを向上させたり、情報の流通量を増やすとなると・・・これはもう既存のインターネットと同じである。つまり、自分たちだけにとって都合がいいエージェントとコンテンツだけで、実質的に半世紀前のパソコン通信みたいなネットワークを構築しても、それを一般人の給料や技術で維持することは不可能なのだ。それこそ、パソコン通信の時代みたいにパソコンでのネットワーク通信を趣味とするような人だけが使うものとなるだろう。なので、僕はブログ記事の著者に反対するというよりも、そういう主張には実現可能性がないか、あるいは実現できてもコストと有用性の点において、いまのようなインターネットの姿に変わっていく他はないと思う。もちろん、だからといって冷笑したいわけでもない。僕だって、インプレ乞食なんてインターネットを使わなくてもいい(世の中にはインターネットがなくても世界の平和や人類の叡智にとって何のリスクにもならない人がいる)とは漠然と思っているけれど、それが具体的に「誰なのか」を決めるような議論はファシズムでしかないと思うので、政治的な主張だとか制度にすることは反対だ。世の中には、確実に「クズ」と言えるような人間がいて、誰が何をやろうと更生できずに犯罪を繰り返すような人間がいたり、サイコパスだかアスペルガーだかの原因(本人の意志とは限らないので「理由」とは言えないかもしれない)があって、物事の善悪や道理や良し悪しが理解できないか関知しない人というのがいるのは分かるけれど、そういう「リスク個体」がいることを織り込み済みで、社会制度や組織というものを作って維持しなくてはいけない。よって、僕は「新しいインターネット」なんていうものを立ち上げる必要はないと思う。技術的に、通信速度なりプロトコルの規格が変わっていくのは当然であろうが、コンテンツや利用について現行の仕組みを勝手に終わらせるなんて権限が誰にあるというのか。
確かに、ブログ記事の著者が言うように、Reddit、Google、LinkedIn、Instagram、TikTok など、主要なプラットフォームは AI が生成するスパムや広告、あるいは営利誘導のダーク・パターンな UI で劣化した。オープンな公共圏(具体的に何のことなのかは分からないが、昔の掲示板のことだろうか)は消滅し、残っているのは招待制の閉じた小さなコミュニティ、Hacker News や Bearblog のような一部の良心的なコミュニティ・サイトだけだという。 だが、これは筆者の偏見か思い込みだろうと思う。Reddit は、確かにアーロン・スワーツなどがいた頃はともかく、2018年には GamerGate などが起きたり、2019年にゲーム会社のテンセントから資金を調達した頃からおかしくなり、上場して破壊的に質が劣化したオンライン・コミュニティの一つだと言えるかもしれないが、Slashdot ほどの影響力はない。Google が画期的な検索エンジンとして多くの人たちの興味を集めたのは、せいぜい1年ほどであり、2003年には AdSense を展開し始めているのだから、2004年に上場した企業としては「生まれながらの広告屋 (natural-born advertiser)」なのだ。また、僕に言わせればインスタや TikTok なんてものは、そもそも自己承認欲求しかないクズや馬鹿が使い始めるよりも前の時代なんて存在しないとすら言える。つまり、いま現在「ゴミ溜め」と言われているサービスの大半は、もともと小奇麗ではあるがゴミの集積地だったのである。なので、ブログ記事の著者が思い焦がれるような「古き良き時代」なんてものはないのだ。それらのオープンでフリーなコミュニティやサービスに思える姿を表面的に語りえたとしても、「フリーミアム」という事業戦略用語があるように、スタート・アップが初期の短期間で巨大なシェアを獲得するためのポーズであった可能性も高い。
したがって、記事の著者が「低摩擦・低コストで参加できる構造が、汚染を容易にした」というのは、錯覚であるとしか思えないわけである。オンライン・サービスは、最初から規制が未整備だという理由で参入しやすくて、コストもかからないという事実を利用して、はっきり言えばあらゆるサービスが馬鹿や貧乏人も含めて多くの人々がインターネットを便利に使えると宣伝して普及していったのである。そこに、何か善良な人々だけが集まる不思議な理由や条件があった、そしてだんだんと低学歴な人間や後進国の人間が加わるようになって、インターネットは邪悪な環境になっていった・・・なんてことはないのだ。
そして、ふだんはマーケティングに携わる連中をゴミ扱いしている僕だが、もちろんコトラーの大著をはじめとする古典にも学んで、その辺のインチキ営業代理店の社長なんかよりも遥かにマーケティングの何たるかを知っていると自負しているていどには理解があるつもりだ。したがって、ブログ記事の著者が「マーケターはウイルスであり、たとえ悪意やスケベ根性がなくても構造的にインターネットやウェブという宿主を侵食する存在である」と言っていることには反対だ。どういう産業や商圏においてであろうと、マーケティングや営業や代理店業という仕事が入り込む余地さえあれば、人はそういう仕事をするのであって、それは広告や販売・営業という職種が必要悪みたいなものだと言いたいわけでもない(上岡龍太郎などが口走っていた、「そういう仕事がなければヤクザにでもなっていた筈の人間を救うセーフ・ガードのようなもの」などという理屈は、惰性を伝統だと言い立てるインチキ保守のお気に入りの理屈だが、僕らのように人類史のスケールでものを考える保守思想家には通用しない)。
こういうわけで、この記事の著者が期待するような、善意と知的誠実さに基づく共同体などという、これまた輪をかけて愚かで未熟な左翼青年みたいな理屈にも、僕は反対だ。こういう安っぽい理想論というものは、実際には自分の範型に適合しない人間を断罪したり切り捨てるファシズムへと簡単に転化してしまう。実際、学生運動の末期に起きた「あさま山荘事件」が典型であるように、身勝手な人物像を理想として思い込んだ人間同士の争いほど救いのない結果をもたらすものはないのである。もちろん、人は傲慢で、無頓着で無自覚で無知無教養な馬鹿や凡人が大半を占める。しかし、そういう状況そのものを「悪」であると規定するような態度は単なるカルトや宗教の理屈であり、自分の理想に当てはまらないことがらを簡単に否定してしまい、カルトや宗教の教えるところの多くがそうであるように、「死ななきゃ治らない」ということになってしまうだろう。