Scribble at 2026-07-11 12:47:00 Last modified: unmodified

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Good Tools Are Invisible

堅苦しい表現になるが、話題の提起として啓発的な記事だ。内容には同意できる点が多いので、なかば僕も同意して書いているような調子で、この記事を紹介しておこう。

記事の筆者によると、本当に良いツールは使っていることを意識させず、作業に集中させてくれるようなツールだという。ツールが扱いづらいと、そう感じた瞬間に初めて存在感が出てしまい、生産性を阻害することになる。他方で、たとえば vim や Emacs の複雑な操作やマクロ作成を楽しいと語る人たちがいる。しかしその楽しさは、実のところツールの欠点をユーザーが肩代わりしているだけでしかない。先日も少し書いたが、Apple のデバイスが提供している「ぬるぬるとした操作感」というのは、実は GUI のレスポンスの遅さを誤魔化すためのインタラクティブ・デザインによるトリックに過ぎない。このように、本来はツール側が解決すべき問題をユーザが喜んでしまう傾向がある。

テキスト・エディタの「宗教戦争」だとか、Linux や UNIX のディストリビューションどうしにある比較の議論が宗教化する理由は、それらのツールがユーザの才能や仕事や生活の象徴や代用になってしまっているからだ。ユーザのアイデンティティとツールが結びつくと、ツールの欠点を認めたり受け入れられなくなり、欠点を擁護したり過小評価し始めてしまう。そして、そういうツールを使っているときの、生産的に感じることと、実際に生産的であることは、実は違うのだ。ツールの難しい操作や運用を解決したり慣れたときの達成感や賢くなった気分は、それを使ってやっている仕事の生産性とは別物であり、本来は関係がない。本当に重要なのは、内部処理という時間ではなく、われわれが実際に感じている壁時計の時間だ。これと同じく、ツールの内部処理よりも、僕らが実際にコンピュータやツールを使って達成する業務やタスクが重要であり、そのために何を使うかはどうでもいいのだ。そんなものは、使う人間のアイデンティティとは何の関係もないはずである。

これを応用すると、たとえば GUI がキーボード操作に弱く、何事かを生産的に行うには TUI/CUI の方が優れているという主張が昔からあるが、これは GUI のデザインやマウスなどのデバイスの設計が不十分であり未熟であることが原因の歴史的な限界にすぎず、GUI の本質的な欠陥などではない。CUI の方が生産的だという議論は誤解にもとづいており、比較するべきなのはそれぞれの条件で使っているアプリケーションどうしのパフォーマンスや操作性だ。

このようにして、ブログ記事の筆者によると、どうして Linux がデスクトップ・アプリケーションの OS として普及してこなかったかが分かるという。CUI で複雑な設定ファイルをいじること自体が楽しいというユーザ文化(と筆者は控えめに表現しているが、要するに「オタク文化」のことだ)が、一般ユーザ向けの良いデフォルトを考案したり発展することを阻害してきたなのだ。ツールの最大の責務は良いディフォールトの作業環境を提供することである。学習コストが高いこと、そしてそれをオタク的な情報への執着や STEM の天才を頂点とした「階級社会」における美徳として崇拝する原始人の発想は、もし Linux や Emacs を広く普及させたいなら捨て去るべきである。学習コストは本来は「負債」であり、価値や美徳ではない。難しさを乗り越えた達成感を通過儀礼や「(ツール遣いとしての)大人への階段」だと錯覚してしまうのは、典型的なサンクコストの錯覚にすぎない。

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