Scribble at 2026-06-22 09:28:34 Last modified: unmodified
歳をとってくると周りで頻繁に聴くようになるのが、「1年を短く感じる」とか「もう1年の半分が終わってしまった」といった、嘆息ともなんともつかぬ話だ。もちろん、記憶をベースに考えたら主観的にそう感じるのは当たり前だ。もうすぐ還暦の僕にとって、今年という1年は記憶と合わせた主観的なスケールにおいては 1/60 の長さとして扱われるが、幼児にとっての1年は 1/3 の長さであり、しかも最初の1年は殆ど自意識なんてないのだから、主観的な人生の大半がいま現在なのである。なので、おそらく幼児にとっては長いも短いもない話ではあろう。これは、一定の記憶や経験の蓄積をもつ人にとっての主観にすぎない。それから、幼児や若い人にとっては初めてのことが多いために、変化そのものが生活に多いわけだが、歳をとるとやることが同じになって単調になる。これも主観的な経験や記憶の蓄積にかかわってくるわけで、歳をとると新しく積み上げるものがなくなってくるのだ。よって、僕のように新しい言語やツールの使い方をせっせと調べたり、AI との壁打ちだろうとなんだろうと、毎日数本は哲学の論文を新しく読んだり、あるいはこうして雑文や罵詈雑言を毎日のように書き殴ったりしている人にとっては、さほど若い頃と比べて1年が長いとか短いといった印象は感じない。
さて、そういうわけで上のような文章を読むと、まず著者は、人は年齢によって時間の感じ方が変わるという平凡な意見を繰り返す。そして、僕が上に書いたような主観の話を前半は続けていて、特に問題はない(というか別に目新しいことを書いているわけでもない)のだが、後半になると急に怪しい議論を始める。特に、子どもを持つことで、時間の流れだとか、初めての体験、あるいは伝統とか人生の意味といったものが再び豊かに感じられ、人生が螺旋のように折り返しながら続いていくというのは、ちょっとどうかと思う。もちろん、これ自体がまったくの主観であり、そして本人に自覚はないのかもしれないが、この手の穏健で控えめな外見をとる無自覚なマウンティングには、あいかわらず呆れてしまう。特に、日本でもアメリカでもインチキ保守の女性にこの手の愚かな文章を書く人物が多いので、タレントの書くエッセイなどには注意が必要だ。