Scribble at 2026-06-22 12:11:39 Last modified: unmodified
どこの会社でも言われていることだが、どうも必要とは思えない会議が行われていたり、必要とは思えない条件で会議が行われていたり、それからどうも必要とは思えないことを会議で話していたりする。もちろん、これを指摘することもメンバーなり部門長なり経営者の仕事ではあるけれど、かといって是々非々だけで解決するのかと言うと、「じゃあ、どうすればいいのか」と問われて答えるのも難しいし、今度は責任を押し付けられるというわけで、たいていの人は大過もなく時間を無駄に過ごすていどなら仕方ないと思っていたりする。もちろん、こういうことの積み重ねが、結局は大多数の企業を機能不全に追い込む元凶なのだが、会社の規模が大きかったり、あるいは会議そのものが短時間であればあるほど、その悪影響は各人にとっては小さく致命的でもないから、深刻さが感じられない。大企業や上場企業にもなれば、その悪影響の積み重ねがあろうと、新卒で入社した人が定年で退職するまで結果として現れない可能性だってあるのだ。
必要かどうかを疑ってよい会議の典型は、「朝礼」みたいなものだ。始業時刻に全員が一か所に集まり、点呼までは取らないまでも出社状況の確認をしたり、経営者や役職者が些末な訓示を行ったり、あるいは「本日も1日、がんばりましょう!」といったフレーズや挨拶を唱和するといったことである。これらがことごとく無意味であるとは思わない。僕も、高校生の頃に、いまはなき『酔虎伝』の道頓堀本店でホール係をしていたときに、出勤するとスタッフ・ルームで着替えてタイム・カードへ打刻した後に、壁に掲げられているモットーを大声で唱えてから持ち場についてものだった。あれはあれで、一種の自己啓発の手法としては効果があるのかもしれない。いずれにせよ、時刻や曜日や頻度を固定している会議の多くは、その時刻、その曜日、その頻度でやる必要があるのかどうかを、それこそ PDCA として検討し続けるべきであろう。
次に疑ってよいのが、条件である。特に昨今は RTO (return to office) のスローガンで、根拠のない対面信仰による集合会議が行われるようになりつつあるが、そのために遠方から交通費を出してまで社員を呼び寄せるほどの効用があるのかどうかは、やはり検証の必要があろう。もちろん、たかが1時間の会議のために往復で1時間の距離を通勤してくるコストや社員のストレスについても考慮する必要がある。
それから、これが最も重要なことだが、その会議で話すようなことなのかという話題が、どういう会議でも多いという印象がある。僕の場合は、所属する部署の会議(これは上長である社長と二人で行う)、管理系の実務者会議、管理系の役員も含めた合同会議、そして経営会議という、階層ごとに幾つかの会議に出ているのだが、たいていの会議で別の階層で話していることと全く同じ話題に時間を使っており、酷い場合は会議によって同じテーマについての結論が違うことがあったり、あるいは同じテーマについて全く同じメンバーが全く同じ議論を繰り返すという馬鹿げた事例もある。そして困るのが、上位の意思決定を行う会議に、部門ごとの会議で話せばいいようなこまごまとした話題を持ち込まれることだ。正直に言えば、ディレクターや営業がどういう相手にどういう営業活動をしてるかなんて些末な話題は経営会議で話すことではないし、僕もそろそろやめようと思っているのだが、滋賀県の万博サイトを閉鎖した後にどうするとか、そんなことは「経営」の会議で報告するようなことではないのだ。
ということで、会議で使う報告のフォーマットを再考しているところだ。だいたい、経営会議の記録用紙にしても、既に退職した人物が P&G で使われているシートだと言って持ち込んだものなのだが、そのシートの使い方も説明しないまま退職してしまったので(笑)、効果的な使い方や意味も分からずに10年近くも弊社で使い続けている。これも、明らかに馬鹿げた習慣だ。