Scribble at 2026-06-19 16:07:13 Last modified: 2026-06-19 16:08:56
既に書いたとおり、本日は朝から京都へ出張してきた。京橋から京阪で1時間ていどだから、「出張」と呼ぶのも大袈裟なほどだが、これはこれでディレクターと僕の二人分の工数を使って請求しているのだから、誰に憚る必要もなかろう・・・とは言っても、ここ最近はトラブル時のサポートという名目でディレクターの更新作業を眺めているだけになっていて、殆ど何も作業をしていない。
さて、半年から1年に1回ていどの更新作業で京都にやってきているわけだが、このところ気になるのが、道端にやたらと煙草の吸殻が落ちていることだ。もちろん、30年くらい前までは日本人が吸殻を道端へ落としていたわけで、お恥ずかしながら僕も二十代の頃は路上で吸殻を踏みつけて煙草を消していた一人だった。それに、もう四十代より若い人には衝撃的なことだろうと思うが、僕が小学生の頃は通勤列車の中で煙草を吸う人がいたし、「国鉄」時代の大阪環状線の列車内なんて吸殻だらけだった覚えがある。当然だが、それはつまり煙草の煙だらけでもあったということである。
それがいまや煙草を吸う日本人は殆どいなくなり、こうやって路上に吸殻が落ちていれば、まず十中八九はアジア系の観光客を疑ってよいということになるわけだ。しかも場所は京都であり、文化財と言ってもいいような古い民家から出てきた老人が吸殻を拾い集めている光景を眺めていると、「観光立国」の実態がしょせんは文化交流だの産業だのと称する隷属であることは明白だろう。
かように、自分たちが何をしたり言っているのか正確な理解も知識も乏しい自称右翼や保守なんてものは、愛国だの何のと言っていようと考えたりやっていることは売国なのである。こんなことは、相手がたとえ同じ日本人だろうと、やるべきではないのだ。その土地を歩いたり、その土地で獲れた食材をいただくというのは、それぞれが自分の力でやればいいことなのであって、誰かが宿や移動手段や土産物を用意するなんて必要はないのである(そもそも、そんな用意された「特産品」なるものが本当に地元の最良の食材や料理、あるいは食器や工芸品などであるかどうかは疑わしい。せいぜい明治時代くらいまでしか遡れないか、それどころか戦後にでっち上げられた「伝統」である可能性もある)。