Scribble at 2026-09-22 11:35:24 Last modified: 2026-09-22 11:52:31
このシルバー・ウィークは、自分自身の誕生日もあったけれど、その殆どが東野圭吾氏の『白夜行』について調べたり考えたり論説を書くために費やされた。そのため、当初は山畑古墳群のサイトに手をつけようとしていたのだが、それはいまのところ設計だけで止まってしまっている。正直、このサイトにしても、せいぜい運営を続けられるのが20年ていどであろうから、いくら馴染み深い史跡の記念とは言っても20年しか運営しないヴァーチャルの博物館というのはどうかという気がしないでもない。それなら、もう少し世俗的な役に立つ成果を出す方がいいんじゃないかとも思うのだ。恐らく僕も含めた凡人にできる最もありふれた成果というのは、もちろん子供をまともな大人に育つまで養うということなのだろう。これは、何も自分たちで産んだ子供を育てることに限らず、近所の子供に何かを教えたり、学童のようなところで飯を食わせたり、あるいは昔で言う「近所のカミナリ親爺」、つまり世に理や善悪があるということの象徴として振舞うことだったりするのだ。それが本当に正しいかどうかはともかく、少なくとも価値観というものがあることを示すだけでも、子供には道理という圧力なり牽制ができる。それが強すぎてもいけないが、全くないと、チンピラのごとく社会人として相手にされなくなる。そういうことで、ここのようなコンテンツは、まさにオンラインのカミナリ親爺としての振る舞いだと理解されたい。どんな漫画やアニメでもそうなのだが、登場人物が成長すると、実はストーリーからカミナリ親爺というのはいなくなってしまうものなのだ。それでいいと思うんだよね。
東野圭吾氏と言えば、彼の自著解説を集めた文庫本を読んでいるときに思ったのだけれど、彼は自分の作品を電子書籍としてリリースすることを長らく拒んできたという。だが、コロナ禍の時期に人が集まる書店へ足を向けるのが憚られるという人が増えていたという状況をみて、七つの作品に限定して電子化を承諾したのだという。
これまで彼が自著の電子化を拒んできた理由は、もちろん書店で書籍として買って読んでもらいたいという要望があったからだ。電子化されるとスマートフォンで扱うコンテンツの一つになってしまい、人が何か時間を使うときの選択肢としてゲームや LINE と同列に並べられることに抵抗があったようだ。もちろん、彼はゲームやメッセージングが読書よりも幼稚だとか低俗だとかいう、悪い意味でのアカデミズムを理由としていたわけではないだろう。寧ろ、彼は電子化されてスマホのコンテンツの一つになってしまうと、ゲームや SNS には勝てないんじゃないかと思っていたらしい。確かに、子供の頃は寧ろ読書が嫌いだったという東野圭吾氏らしい実感なのだと思う。
ただ、その選択肢としての読書には、もちろん書籍が手元にあるという前提が必要だ。しかし、書店で本を買うということは、大阪で生まれ育った東野氏には自然なことであっても、いまや書店が減っている多くの地域では困難になってきている。実際、東野圭吾氏の地元と言ってよい生野区では、JR 桃谷駅前の商店街から書店が消えてしまっており(かなり奥に行くとあるにはある)、大阪市内という大都市圏ですら書店は減るばかりだ。確かにアマゾンなど配達のサービスはあるが、実店舗でブラブラして偶然に面白そうな本や雑誌を見つけるといったチャンスがなくなってしまう(ところで、書店が減ると困ると言っていながら、実は東野圭吾氏自身はあまり書店で本を買わないらしい)。僕は、Second Life が流行したときも、電通が騒いでいるのを近くで眺めていて冷笑していたし、あの昔懐かしきメタバースが登場してから2年ほどで華麗に瓦解したときもメシウマの心境で傍観していたのだが、しっかりデジタルもしくはネットワークでの公共の場所として普及しさえすれば、ヴァーチャルな店頭を作ることもできるわけだし、そこで注文をとって、敢えて電子書籍ではなく紙の書籍を配達すれば「書店」というコンセプトは死なない筈だと思ってはいた。昨今、経営者がもつ色々なコンセプトで集めた本だけを販売している書店ができていて、個々の出品者が売りたい本だけを置く場所を一部だけ間借りできるコーナーをジュンク堂が提供していたりする。実店舗にもよい点はあるだろうが、物理的な制約があるからには、それなりの資金をもっている人しか参入できないし、経営を維持するために場所代や人件費がかかりすぎるという問題もある。
最後に、些細なお知らせだが、当サイトで掲載していた栄養学のコンテンツは削除した。栄養学という学問が未熟であり、NHK のトリセツショウやあさイチのようなセンセーショナリズムやフードファディズムの餌食になりやすいため、科学哲学者としてまともな基礎を固めた論説を提供しようとは思ったのだが、よく考えたら僕自身がまともなレベルで理解していればいいだけであって、他人など知ったことではないというのが本音だ。いまどき海外の教科書ですら、丸ごとアップロードしても AI が翻訳するどころか解説までしてくれるのである。なので、自分で勉強しろって話でしかない。そもそも(いまのレベルの)栄養学なんてものは、生化学と人体生理学を知っておけば追加して学ぶ価値のある内容なんてないと言ってもいいわけで、敢えて追加して勉強することと言えば、食品表示法と辻調理師専門学校の願書の出し方くらいのものだ。