Scribble at 2026-07-20 12:58:10 Last modified: 2026-07-20 13:10:08
コロナ禍以降は、東京に出張する機会がなくなってしまった。それまでは、ISMS やプライバシーマークの現地審査で東京の支社に審査員が来訪することがあったし、内部監査という名目で出張することもあった。けれど、まず2019年に ISMS の認証を取り下げたり、東京の事務所で殆ど情報資産を保管しなくなった(それどころか名目上の支社となってしまっているので机くらいしかない)から、内部監査へ行く理由がなくなってしまった。それに、プライバシーマークの現地審査は、本来は保有個人データを扱う全ての事業所で現地審査を受けなくてはならないから、弊社では大阪の本社だけでなく全ての支社で審査を受けていたのだが、もういまでは本社だけで現地審査を受けているのだ。いや、そもそも既に東京の支社に配属されているスタッフもリモート・ワークしていて出社しておらず、しかも住んでいるところが山梨県や福島県だったりするので、東京の支社を閉鎖してコストを節約できるはずなのだが、どうも東京にオフィスがあるというステータスを維持したい経営陣がいるらしく、名目上の「支社」を持ちたいだけの理由で出費を続けているというのが実態だ。それだけのことなら、東京の WeWork に1席だけ借りて名目上の「東京支社」にすればいいだけではないかという気がする。
ともあれ、仕事としては東京へ出向く理由が無くなってしまったので、プライベートで何か行く目的でもあればいいのだが、これもまた興味がないし強い動機もない。かつて働いていた神保町にしても、僕が勤めていた会社の所在地にあったテナント・ビルはなくなっているし、古書店めぐりだけで行くのは勿体ない。また、住んでいた板橋の西台へ行ったところで、別に何の感慨もない。実際、20年近く前には某モバイル広告会社の仕事で西新宿へ通っていたこともあって、たかだか2時間ていどの会議を済ませても正午を過ぎたくらいの時刻だったので、山手線で巣鴨まで行ってから都営三田線に乗り換えて西台まで行ってみたこともある。住んでいた「日神パレス」というワンルーム・マンションを眺めた後に、高島平の方向へ少し歩いてすき家で食事を済ませてから、BOOKOFF へ立ち寄ったりした。それから三田線の北側へ進んで、休みの日に出かけて読書していたこともあった「前谷津川緑道」という南北に細長い公園で休憩した。ここは僕が西台に住んでいた20歳の頃(1988年頃)も閑散とした場所だった。30分ほど座っていたけれど、老人が二人ほど近くを通りかかっただけである。もちろん、何の感慨もない最大の理由は、知人がいなかったからだろう。雑誌の編集者なんて昼前後に出社して深夜に帰宅するような生活だったから、西台に2年ほど住んでいて会話した相手はマンションの管理人くらいのものだった。
その他に、チャンスがあれば行こうと思っていた場所はある。上の地図では赤い丸が母親の住んでいたところ(五本木)で、青い丸が父親の住んでいたところ(緑ヶ丘)だ。そして、左の黒い丸が僕の生まれた旧国立第二病院である。ただ、これは情報として知っているだけのことなので、これらのどこも僕の記憶にはない。なので、もちろん実際に足を運んでも特に何の感慨もないはずだ。無意味と言えば無意味だろう。なお、地図を眺めていると、この東急東横線の「都立大学」とか「学芸大学」って、とっくの昔に大学が移転してなんにもないのに、妙な話だなと思う。