Scribble at 2026-02-04 05:51:18 Last modified: 2026-02-04 16:19:02

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これは特定の分野に限る話ではないと思うのだが、僕が概論や入門書ではなく通俗的な本にイライラさせられるのは、簡単に言えば当サイトではお馴染みの「自己欺瞞」を感じるからだ。おまえら、分かっててそんなもん書いて、編集して、出版して、販促して、いやそれどころか読んでるだろ、おい。

そういう状況で感じる自己欺瞞には幾つかあるのだが、たとえば「やさしぃ(田舎のキャバ嬢風に語尾上げ)」説明などというインチキをアウトリーチや啓発の手法だと大真面目に平然と言ってのけるような人々が、都内の出版社にはたくさんいるということだ。だが、僕と同じ程度に社会学を学んでいなくても、こんなことが社会科学的な常識で言って自己欺瞞(つまり自分で言ってて、そんなのが嘘だと分かってるはずだということ)であるのは明白だ。なぜなら、君らが「やさしぃ」言葉で宣伝し、編集し読んでもらおうとしている相手こそ、そもそも書店になど足を向けないし、紀伊國屋のサイトになんかアクセスしないし、せいぜいサブスクで漫画を読めるアプリを使っているくらいだろう。一見すると、これはあからさまね偏見に見えるかもしれないが、些末な事例を針小棒大にとらえて、そういうところへ行きそうにないアイドルが哲学書を読んでいるといったことだけで「可能性はゼロではない」式の無能がよくやる馬鹿げた妄想で出版や執筆を自己正当化してきたのが、「知の民主化」だの「名もなき人々にも哲学を」だのと当人が聞こえもしない場所で喚いてきた、きみたちインチキなリベラルや出鱈目な左翼崩れの出版社だ。だが、現実は違うだろう。実際に、6割近くの人々が年間に本を1冊すら読んでいないという現状にある。そして、そういう事情の多くは所得が低いか就労時間が長い(あるいはその両方)という事情で、本を読むどころか書店へ足を向ける時間もお金もないということだ。

大情況としてそういう現状がうすうすは分かっているくせに、あたかもパンティーが見えてる女子高生を表紙にした(これはあくまでも例えであって、言葉として「サバイバルの哲学」「明日を生きるための哲学」「AI時代の哲学」「小平の高速道路で読む哲学」「元役人が語る哲学」などと称している本も、本質的にはエロ漫画を表紙にするような「哲学書」と編集方針は同じである)本を出版するだけで啓蒙・啓発の条件(必要か十分かはともかく)を満たしたかのように仕事を続けるというのは、僕に言わせればただの自己満足だし、しかも満足しているのは仕事としてであり、本来の目的にとって殆ど無益であることが分かっていながらやっているという意味では自己欺瞞ですらある。恥を知れと言いたいね。

こういう人たちには、ぜひとも君らが妄想している「やさしぃ」言葉で説明しないといけない相手、つまりは君らより偏差値が30くらい下で、関関同立にすら現役で入れるかどうかわからないような人々(ちなみに40年前に共通一次を受けた当時の僕は、興味がある分野を除けば全く勉強しなかったし授業にすら出なかったから、偏差値が54くらいだった。なので、僕もたぶん現役で入れたかどうか怪しい、つまり僕も君らに啓蒙してもらう相手だったかもしれない)を現実に眼の前にしてみることをお勧めする。簡単に言えば、ヤクザの事務所を訪ねて「哲学」とやらの重要性を説得してこいとか、あるいは・・・これは実は本当に何かの懇親会で口にしたことがあるのだけれど、「少年院に行って哲学の授業してこいや!」という気がするね。寧ろ、そういう経験を日本の社会学者やライターに取材してもらった方がいいのではないか。「体当たり東大教授」とか、「グリ下で話す科学哲学」とか、そういうタイトルを使えるじゃん。

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