Scribble at 2026-01-05 07:01:25 Last modified: 2026-01-05 07:04:21
僕にも人並みに「マイ・ブーム」というのがあって、何年かごとに特別な関心を払うテーマがあったり、何か特に入れ込んで時間やお金を使う趣味のようなものがあったりする。
3年前から暫くは、髭剃りであった。理容師の YouTube 動画を観たり、旧ソ連製のビンテージな straight razor を Etsy で購入したり、あるいは出来栄えのよく分からない(しかし安くて有名な)中国製の剃刀を AliExpress で購入したり、アマゾンではトルコやロシアで製造されている替刃を買ったりした。もちろん技能も身につけようと、はじめのうちは顔を切ったりしていたが、数ヶ月で鏡も使わずに剃れるようになったし、歴史や理屈も学ぼうとして、ビンテージの剃刀について調べるためにロシア語まで勉強しようとしていたこともあったり、剃刀の製造や設計について知るための金属学や材料工学なども何冊かの教科書を揃えた。その成果として、MarkupDancing に幾つかのページを公開しているが、いまでは良い思い出である。もちろん、それからというもの、電動シェーバは使わなくなって、替刃のストレートか(カートリッジではない)安全カミソリを使うようになって、これは僕の習慣になったのだが、関連する情報を集めたり何かを学ぶということはなくなった。
何かに関連する書籍や研究分野を学ぼうとする意欲が一時的に高まるという経緯は、これまでにもあった。たとえば、連れ合いと初めて出会った頃というから20年以上は前になるが、ちょうど NHK で『新シルクロード』という番組が放映されていた時期でもあったし、玄奘三蔵の足跡について関心を持っていた。長距離に及ぶ旅は有名だが、唐へ戻ってから行った仏典の翻訳作業についても大きな業績を残していて、思想・学術的な色彩が強いために広くは普及していないが、日本でも奈良の興福寺や薬師寺が伝えている「法相宗」という宗派に玄奘三蔵の教えが多く残っているという事績にも興味があった。どちらかと言えば、宗教という脈絡ではなく、長い旅を続ける信念や熱意だったり、膨大な翻訳作業を統制するマネジメントの才能だったりに興味があった。それから中国史全般に興味が広がって、吉川弘文館から出ている古典の注釈書を集めたり、中国の通史を色々と読んだりしていて、これもそれなりに読書の選択肢として維持されている。もともと、僕は高校時代から「中華料理が最強」説の支持者だったし、書道も若い頃から日本人の書には殆ど興味がなくて中国の唐代の楷書ばかり臨書していた頃があって、なんだかんだ言っても子供の頃から中国には強い関心があった。
ちなみに、年のはじめにこんな昔話を書いている理由というか心境は、末期癌になったからとかではなく、こういう自分の好みや興味に委ねてあれこれと読んだり調べたり考えたりするのも続けたいところなのだが、やはりアマチュアなりに勉強や思索を積み上げてきた成果をまとめておきたいという気分もあるからだ。現状、その「成果」の大半は哲学プロパーや都内の編集者や「独立研究者」らに向けた罵詈雑言となっているわけだが(笑)、なにも彼らに比べて自分が正しいとか優越しているなどと言いたいわけではないし、彼らの代わりになろうという野心もない。無能はともかくとして、どれほど凡庸であろうと他人の成果を軽んじるつもりはない。よって、僕は出版活動、なかんずく商業出版にいくらかの期待や信頼は置いている(もちろん、僕も商業出版として発行された書籍から恩恵を受けている)。
でも、やはり最後の最後は、たとえ本がなくても、あるいは本を全く読まなかったとしても、自分が何をどう考えて何を為すかが重要であることに変わりがないということも事実だろう。書籍どころか言語能力がない生物に「哲学」という営為があるのかどうかは疑問の余地が多いけれど、かといって昨今の流行語よろしく人の思いなしを何でもかんでも「関係性」なり「ネットワーク」なり「環境」なり「コンテクスト」によって片付けようとするアプローチ(これは即ち相対主義の変奏であろう。ポストモダンの洗礼を受けていながら言うのはおかしいが、やはり保守主義の思想家である僕にはセンチメンタリズムとしか思えない)にも、やはり FPV という認知的な枠組みをもっている生物の個体としては抵抗がある。