Scribble at 2026-01-04 07:12:20 Last modified: 2026-01-04 14:45:24

年頭に予定を立てたところで1年以内にやるべきでもなければ、そうするつもりもないことを年頭に予定しても意味がない。なので、そういうことは敢えて口外しないことにしている。ただ、何年かに渡ってやっておきたいことや、やるべきことはあって、そういう課題は予定として書き留めたり公表してきた。

たとえば、こちらではテキストの制作だし、MarkupDancing では山畑古墳群のコンテンツを公開するという予定がある。また、ウェブサイトの運営に関わることではないが、仕事として JIS Q 15001 + JIS Q 27002(これは ISMS の管理策だが、実質的にプライバシーマーク制度の PMS で参照する「安全管理措置」としても扱ってよいものだ。実務家なら誰でも知ってることである)をベースにした社内規程の作り直しがある。既に MD では少し書いたのだが、この社内規程には資格試験のテキストに倣って解説を付ける予定だ。社内規程の文書が参考書のような体裁になっていて悪いわけがないし、そもそも社内規程というものは(とりわけ個人情報の保護という全てのスタッフに関係があることならなおさら)従業員が誰でも読んで理解し、実地に当てはめてものを考えられるような文書であるべきだからだ。僕らのような、知識も経験も技術力もあるイケメンだけが読んで理解できればいいというものではない。

それから、これはウェブサイトのコンテンツにもなるのだろうが、MD では画像生成 AI の解説を公開する予定だ。もちろん著作権法の趣旨から鑑みて、モデルをトレーニングするために利用した膨大な量の著作物については、飽くまでも特徴量の学習という利用をしたという解釈に依存しており、法的にはともかく道義的には問題があると考える人も多いのは知っている。ただし、たとえば教師画像がそのまま出てくるという事例は、僕はコピーではなく過学習だと考えているので、どちらかと言えば画像生成モデルをトレーニングする側としても「歓迎しない結果」であり、生成 AI の利用に反対する人々と実は同じ評価をしている。そういうスタンスのもとで、ひとまずローカル・マシンの環境で扱えるモデルには限界が見えてきたから(最近の巨大な生成モデル、とりわけ動画の生成は家庭の標準的なパソコンでは殆ど実用性のある環境を構築できない。現実にオンライン・ゲームができるていどのスペックで扱えるモデルは、SDXL が限界だろう。FLUX.1 や SD 3.5 は動かせるものの、画像の生成に時間がかかりすぎて実用的とは言えない)、ひとまず SDXL をベースにして解説するのが適当だと思う。

で、僕は主に風景や still life の画像を作っていて、イラストは社内研修用の挿絵を除けば作っていない。しかも、研修用に作るイラストはローカル・マシンではなく Gemini に作らせてきたから、それなりの経験や技術や嗜好の偏りはあるだろう。そこは、こういう画像の生成について興味がある多くの人々のニーズに対応はするが、もちろんエロ画像の作り方など指南するつもりはない。それから、僕が作っているのは「画像」であって、どれほど写実的ではあっても写真とは違う。ただ、現在は写真家の大半が DSL で撮影して Lightroom で生データを加工しているから、フィルム時代よりも画像の生成に近い実務になっており、加工技術の多くは画像の生成についても流用できるし、生成した画像を Photoshop などでレタッチする工程はほぼ同じと言って良い。

また、出来上がった画像についての解釈にも、画像生成 AI には興味深い論点が幾つかあると思うので、そういうことも取り上げていきたい。ただ、写真はリアルで生成画像はヴァーチャルだというナイーヴな二分法は、これまでオンライン・ゲームや VR などについても言われてきたように(いや、そもそもインターネット上の文化についても言われてきたように)、ナンセンスであるとも言いうる。そして、これは僕がもともと写真について感じてきたことからしてもナンセンスだ。つまり、写真は「現実」なかんずく「真実」を写し取るようなデバイスでも技術でもないのであって、さらに言えばそれを理想としたり目指す必要すらない。人の肉眼で眺めているパースペクティヴを「現前」させることが真実の正確な把握であるなどという構図が効力を失ったなんてことは、それこそ高校時代の僕らがデリダなどを読んで40年前に議論していた話であり、科学哲学者であろうといまどきこれを疑うような人はいまい。そして、眼球運動を始めとする生理的な事実に照らして言えば、あらゆるスポットにピントが合っている写真などというものが科学的に言っても視覚的な認知の再現ではありえないことくらい、いまどき中学生でも知っている。つまり、「写真は人が眺めた事実を写し取る(べきだ)」などという表現は、思想としてどうこう批評する以前の話として、そもそも科学的でもないのだ。

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