Scribble at 2025-11-20 10:06:26 Last modified: 2025-11-20 10:41:53
Peter Thiel: Microsoft is probably close to the computer rust belt, um, you know, one that's uh that's shockingly and probably in the computer rust belt is Apple computer. You know, is is an iPhone 5 where you move the phone jack from the top of the phone to the bottom of the phone, really the sort of thing where we should be all screaming hallelujah, it's a miracle?
これは13年前に収録された有名なセッションで、ピーター・ティールとマーク・アンドリーセンという二人のテクノ楽観主義者たちが、寧ろ自分たちは IT 業界における少数派だという自覚から登壇したイベントだ。そして、ピーターは上のように語っていた。Apple がコンピュータ業界の rust belt に位置するという見立てなのだが、彼の発言で印象に残るのは、寧ろその後に続く、彼らしい発言なのだが、"You know, is is an iPhone 5 where you move the phone jack from the top of the phone to the bottom of the phone, really the sort of thing where we should be all screaming hallelujah, it's a miracle?"(iPhone 5 でイヤフォン・ジャックをスマホの上部ではなく下部に繋げるようになったことが、本当に「ハレルヤ、こいつは奇跡だ!」と叫ぶようなことなんだろうか?)という一節だ。
もちろん、ピーターのように臆面もなくテクノロジーの一つの目標として「不老不死」を掲げるような人物からすれば、スマホのモデル・チェンジなんて些細なことだろう。iPhone の筐体がアルミだろうとチタンだろうと、そんなことはどうでもいい。そして、IT 企業の経営者に多くいるとされる、こういう目標を共有している人々からすれば、IT にはまだまだ期待できるし、する他にないだろうというわけである。
確かに、iPhone のように半世紀前ならアメリカ軍ですらもっていなかった計算能力のコンピュータで人々がやっていることと言えば、小学生が学校の成績データを書き換えるとか、パパ活女子高生が国家官僚や政治家とチャットするのに Telegram を使うとか、高齢者が Angry Bird で暇潰しするとか、あるいは世界中で勉強もせずに TikTok ばかり見ている若者が生成 AI でイージーなテクノ内職をして暮らし始めているとか、そんなことばかり普及していく。歴史を見ても分かるように、そんなことをしている連中の中から学問や技術を真に前進させる人材は出てこない。「デジタル・ネイティブ」だの、あるいは都内で「コーディング教育」に暇をつぶしているガキなんて、東大を出ていようと、10年後には IBM の五次請け派遣社員になるだけだ。
さて、この討論を眺めていると、ピーターは楽観的でマークが悲観的という構図にしたがっているようだが、僕には逆に思える。たとえば、悲観的であるはずのマークは楽観的であるはずのピーターに比べて、Twitter に代表されるコミュニケーション・サービスの普及や通信コストの低減を過大評価しているように見えるからだ。そして、両者とも Twitter 社で働くエンジニアの地位が10年後も安泰だと言っているが、みなさんは既にご承知のとおり、イーロン・マスクに買収された Twitter は X に改名し、直後に大量のエンジニアが解雇され、いまも続々と生成 AI に置き換わっている。いや、企業としての Twitter なんてどうでもいいが、とにかくマーク・アンドリーセンの発言で気になるのは、「コミュニケーション」の効用を語るのはいいとしても、過剰な普及によって有効なコミュニケーションが逆に悪影響を受けるリスクがあったり、あるいは悪い結果への反動として規制が強くなったりすることがありえるということだ。もしかすると20年後に素晴らしいエンジニアか科学者になっていたかもしれない少年少女が、ガキの頃から TikTok や YouTube 漬けの生活で勉強しなくなり、本来の才能を活かせなくなるかもしれない。もちろん、それはテクノロジーやサービスのせいではないが、子供、あるいは凡庸な親に過剰な自制を期待するのは現実的ではない。