Scribble at 2025-08-28 13:39:23 Last modified: 2025-08-28 14:44:43
連れ合いは X のユーザとして長らくいろいろな人物のツイートを眺めているようだが、哲学にかかわる人物のツイー・・・ああそうだ、最近は「ツイート」とは言わないのか・・・ともあれ、投稿を眺めることがあるようだ。さきほど聞いた話では、『現代思想』の連載をまとめたらしき初心者向けの本を出した人物がいたようで、「日本の哲学史」などと銘打っているという。
連れ合いは女性の哲学者に興味があったらしく、どういう人物が取り上げられているのかと調べてみたという。僕も調べてみたが、たぶん『現代思想』の連載とは山口尚氏による「現代日本哲学史試論」であろう。この方は、たしか大別すると「分析系」しかもガチの theory of knowledge や philosophy of perception をやっていた系統に入る研究者だと思うのだが、彼の「現代日本哲学史」という言葉を使う基準によれば、たとえば石黒英子氏は彼の「哲学史」に入ってなくて、なんだったけ、あのソクラテスの猿真似をやってた元タレントとかは入るようだ。
で、ここまでならいつものように都内の通俗物書きをこき下ろすだけの論評なのだが、いまさら日本のプロパーなんて旧帝大の教授だろうと大半がサラリーマン哲学講師にすぎないわけで、わざわざ目の前に空気があることを「眼の前に空気があります」などと指摘したところで無意味であろう。それに、プロフィールでご存知かと思うが、僕ももともとは出版業界で働いていた人間だし、通俗的な活動の典型であるオンライン・サービスの事業者で働くサラリーマンでもあるから、「通俗的」という理由だけでただちに非難するべきことだと言いたいわけでもない。要は、通俗的だろうと一般向けだろうと、プロのデザイナーとして、それから概念や議論の視覚化にかかわる歴史や文化人類学や現代思想の論点から言っても、君たち都内の編集者や物書きは、その「通俗化」のレベルがあまりにも低いと言っているだけである。
ということで、山口氏は少なくとも「試論」という留保をつけているので(或る意味では、そういう中立的な解釈だけでなく、大和心の謙虚さ、あるいはジャップがよく使う卑怯な言い逃れとも解釈できるわけだが)、彼の「現代」「日本」「哲学」「史」という言葉の使い方なり解釈なり基準がわからなければ、これを直ちに非難しつつ、「マスコミが大好きな連中を取り上げて、哲学にちょっと興味がある坂道アイドルとお近づきになりたい系」のスケベ根性みたいなものとして侮蔑するのは軽率というものであろう。
ただし、彼が正確にどういう意味でこのような言葉を使っているのか、実際に書籍を手にとって「解釈学」してやる義務や責任や必要や事情が僕にあるかと言えば・・・アマチュアだからといって、そこまで暇ではないね。誤解を招くような言葉を使わないのが、哲学教員という以前に、物書きとしての基本だと思うので、受け取る方が極端な無知無教養でもない限りは、誤解させた方に非がある。当サイトでも注意書きとして掲載していることだが、「現代哲学史入門」などと称して販売されている本の中には、実際には現象学の通俗本だったり、あるいは早稲田や慶応あたりの「有力教授」からの聞き書きみたいなものもあったりするわけだが、こういう愚劣さまではなくても、迂闊さはプロパーとしての文化的な罪というものだ。
[追記] で、出版される書籍の装丁を当人が X で宣伝してるから見てみたが、タイトルから「試論」が外されているようだ。これでは教科書なり体系的な戦後以降の通史として誤解する人はいることだろう。もう手遅れだが、書店で実際に手にとって眺めたり、出版社のサイトで確認することをお勧めする。だが、そもそも初心者に目次だけで判断できるわけがないのだから、こうやって指摘しておくのも無駄ではないのだろう。まぁ、当サイトに初心者が事前にアクセスする可能性は限りなく低いわけだが。