Scribble at 2025-08-06 08:23:02 Last modified: 2025-08-06 08:33:42
この時期になると、原爆は天皇とアメリカが共謀して落としたとかいう陰謀論が出てくるらしい。連れ合いによると「教育の敗北」ではないかというわけだが、或る意味では哲学や社会思想の敗北でもあろう。通俗化のリスクも考慮せずに、せっせと半世紀にわたって価値相対主義を「ナウい思想」として流布してきた結果がこれだ。いや、アメリカの左翼が入れ知恵した通俗的な「民主主義」も含めてなら、今年で被爆と同じく80年と言ってよいだろうか。
要するに、市井に敷衍すること自体の是非は問わずとも(そんなことくらい "philosophy for everyone" などと御大層なことを言わなくても当たり前だ。これまで学問が貴族や金持ちのもの --- 研究者としてであろうと、成果を享受したり利用する立場であろうと --- であったのは、単なる歴史的・経済的・政治的な条件によるのであり、それ以外の理由などない)、市井に哲学や思想が普及するときは必ず、きみたち都内や京都のインチキ哲学教員なら知ってると思うし自覚もあろうが、必ず通俗化し劣化する。しかるに、一般人や素人が自分の知性の限界の範囲において(カントの著作のタイトルみたいだが)のみ理解し納得してしまうような ersatz 哲学なり通俗思想、こう言って良ければ「マスコミ版の哲学」は、もちろん書籍だろうと雑誌だろうとブログだろうと YouTube だろうと、人々が自分で好き勝手に選り好みして取り入れるのだから、もともとの脈絡などは簡単に捨て去られてしまう。
そして、そういうことを逆にお勧めしているのが、「90分でわかるヘーゲル」とか「超訳カント」とか「読解ウィトゲンシュタイン」といったタイトルで本を書いている、都内の哲学ゴロだ。我々のような哲学者に言わせれば、こういうやつらは人類の智慧にとってはノイズやゴミどころか事実上の「文化的な犯罪者」あるいは「反動的な活動家」に等しい。もちろん、社会科学の素養もあって歴史の教訓を知る者から言えば、だからといって彼らを襲ったり出版社に爆弾をしかけても無意味であることは明らかだ。元凶を絶たない限り、どこであろうと「思想的な蛆虫」などいくらでも湧いてくる。だが、思想的に攻撃したり、文筆によって殴り倒すことはできるわけで、僕はそういう社会的な使命という自覚があって、こういう罵詈雑言を書いてきた。確かに思い込みもあろうが、こういうことを止めるつもりはない。ちなみに、何かの会則などに違反するというのであれば、日本科学哲学会から除名するなど具体的な行動を起こしてもらってもよい(それはそうと、日本科学哲学会は退会するのにも学会の承認がいるらしいけど、これおかしくないか?)。たかが学会一つから除名されたくらいで哲学者が自らの活動を止めるはずもないわけで、東京や京都にハエと同じくらいいる大学教員(彼らは「サラリーマン哲学者」だが、僕は「サラリーマンでもある哲学者」だからだ)や思想オタクなどと一緒にしてもらっては困る。