Scribble at 2025-07-14 22:03:06 Last modified: 2025-07-23 18:10:52
そういや、本年度の会費を送金するようお知らせが届いていた。ご承知のように、日本科学哲学会は会費が7,500円になった。もちろん独自ドメインをとってウェブサイトを運用している余裕があるくらいだから、払えないわけではない。ただ、そろそろ冷徹に判断するべき時期が迫っているのは明らかだ。
第一に、弊社の経営状況によっては職を失う可能性もあるし、そうでなくとも7年後には定年退職であるから、年収が増える見込みもないので、どう考えても無駄な出費は切り詰める必要がある。たぶん、その筆頭はこういうサイトを運営する費用だし、その次は学会の会費であろう。というか、書籍を購入する以外に僕が哲学するために使っている費用は、それくらいしかない。あとはせいぜいペンやノートを買う費用だとか、パソコンの電気代などであろうが、パソコンは他にも生活や仕事で使っているから、管理会計的な脈絡で言えば「全体配賦」というやつに当たるので、哲学の勉強や研究だけの費用として考えたり、あるいは何割が相当するなどと想定するのは、常識的にもナンセンスであろう。
書籍代については、もちろん必要に応じて買ってはいるけれど、はっきり言えばオンラインでオープン・アクセスになっている論文を読むだけでも手一杯である。あと、哲学ではないが欧米の研究者がオープンに公表している handout の類や、書籍に相当する分量や内容のドキュメントも大量にある。ご承知だと思うが、いまや数学においては学部レベルの勉強をするのに本を買う必要など殆どないくらい、あらゆる初等レベルのテキストがフリーで(かつて出版した書籍を電子データに換えてオープンにしている人すら多い)手に入る。日本の哲学はもちろんだが、数学についても圧倒的な差があり、あたりまえだと思うが東大や京大なら学部の学生がいきなり洋書を読んで勉強することも期待されているであろうから、いまやこのクラスの大学の学部生は日本語で書かれた初等レベルの教科書なんて殆ど読んでいないのではないか(ちなみに当サイトでは「東大暗記小僧」などと書いてはいるが、もちろん東大の学生は勉強については優秀だ)。
ということもあって、正直に言うと興味本位で購入するような本(たとえば先日の落書きで取り上げたドゥルーズの『差異と反復』など)を除けば、哲学の本はたぶん10年くらい買っていない。いわゆる分析哲学や科学哲学に類する書籍に至っては、『フレーゲ哲学の最前線』(2007)以降に購入した覚えがない(ああ、洋書だったら Springer のアンソロジーなどを安く買っている)。
だが、みなさんもご承知のとおり、哲学においては最新の本が最も正しいと言える根拠はない。また、自然系の著作物についても、一見すると漸進的なようでいて、実際にはそうでもないということが分かってくる。ここでは何度も書いているが、数学のテキストなんて年を追うごとにゴミクズが山のように積み重なっていくかのような印象すら受ける。正直に言わせてもらえば、数学者の大半は gifted である代償として学習障害の人物が多いと思う。直観像記憶でものごとを体得したり、あるいは証明をイラストのように考案しているような人々は、逆に言えば教科書を最初のページから読んでいくような秀才レベルの勉強は不得手であろうし、そもそもやったことすらないであろう。そういう人々は、理解を「ほんとうに論理的に積み上げていく」ことしかできない他人に向けて教科書なんて書けるわけがないのだ。