Scribble at 2025-07-02 20:11:23 Last modified: 2025-07-05 08:15:39
上記は、以前から RSS を利用している(料金を払っているわけではないから、「購読」とは言いたくない)ブログである。冒頭に「【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】」という妙な但し書きが付いているのが特徴で、こんなの初出と最終更新日を冒頭に記載すれば自ずと分かるはずなのだが、hatena blog では表示項目の融通が利かないのだろうか。もちろん、ブログは「ログ」だし日記の類だという理解があるから、常識的には日記を後から書き換えるという運用には違和感があるのかもしれない。僕が、いまここで書いているこの文章を掲載しているセクションを「落書き(scribbles and scrabbles)」と呼んできたのは、そういう理由もあるからだ。落書きなら、後で「しょーもない」と思ったデータを自分で消したり書き換えるのもアリだ。それにひきかえ、日記や記録の類を後で書き換えるなんて、国家官僚や地方の役人しかやらない愚行・蛮行の類というものであろう。僕が元官僚の学者、まぁ実名を出して悪いが自称科学哲学者である広井氏などをどうしても信用できないのは、彼らは自分に都合が悪い記録や学説を無かったことにするという、性癖のようなものがあると思うからだ。あの麗しいインチキ歴史小説を繰り出してきた司馬遼太郎史観で描かれる明治期の意識高い系官僚と軍属なども、結局は都合の悪いことを書かなかったり歪曲した日記を残した詐欺師どもであり、その悪影響が行政だろうと哲学だろうと色々なところに残っていると思う(たとえば、MD で書いている話だが、いまだにアホみたいな非効率で不合理な素人の議論が英語の学習や英会話について延々と続けられている国なんて日本だけである。東大合格者の生存バイアスにより、愚かな勉強方法でも生き残ったやつが東大に入っていることで、そういう方法が有効であるかのような錯覚に陥っている人が多いのだろう)。
余談はともかくとして、先日も取り上げたローマ字の表記方法についてだ。長音の表記方法について、僕は自分のセンスや美意識から、母音字の頭に棒を乗せて、忘年会などで手拭いを頭に乗せて踊る酔っ払いのサラリーマンみたいに無様な姿を日本語の表記として世の中にさらすのは醜悪であると書いた。また、母音を連続させて長音を表す方法もあるようだが、これも僕には日本語の表記とは思えない醜悪さを感じる。「大阪(おおさか)」を "Oosaka" なんて表記するのは許し難いことである。
そもそも、どこの国や地域であろうと、その土地の言語で表記される記号表現が原則であり、日本へ旅行しようというなら「大阪」や「京都」といった記号くらいは見分けられるようにしておくのが筋というものだ。われわれには New York や California や Berlin や Paris や London で現地語の表記だけを読ませてなんとも思わないのは、どう考えても言語的な差別意識や植民地主義というものであろう。そもそも、外国語の表記を併記すると、それには限界があるのだから(日本に訪れる全ての国の人々が使う言語表記を全て使って併記することなどできない)、結局は英語や中国語やハングルを優先することになり、これはこれで他の国からやってくる人々への差別意識を助長するであろう。それは国連(国際連合)という第二次世界大戦の地政学を引きずる差別団体が、いつまでもドイツ語や日本語を公的な文書で使おうとしない偏狭さと同じ、僕には悪質な精神だと思える。
したがって、外国語表記を併記する必要など原則としてないわけで、特定の国が好きな人々が有志で勝手に立て看板を町中に建てておればよいのである。とりわけ行政で敷設する標識や掲示板などでは、日本においては公用語である日本語(できれば北海道や北部東北ではアイヌ語も含めるべきだと思うが)での正確で視認性の高い表記方法を工夫するよう優先するべきであって、ハングルや英語を併記するために振り仮名を省略したり、あるいは離れた場所から(日本語話者が)殆ど読めないほど小さく表記するなど本末転倒というものである。
で、僕(繰り返すが僕は二流の構成作家など歯牙にもかけない「保守」の思想家だという自覚がある。ていうかあいつらはそもそも「保守」でもなんでもない、単に自意識や自分の妄想の擁護が目的なだけの下衆というものだ)が書いてるからこういうことは「ナショナリズム」だと言われかねないわけだけど、人類史ベースの保守を自認している僕からすれば、これはどういう国でも当てはめられる、基本的なスタンスというものであって、自国で自国の言語を使って暮らしている人々の生活に貢献することを優先するのは、行政機関の責務や義務でもあろう。これを否定して、標識に振り仮名よりもハングルや英語を優先して印刷しろなどというのは、僕に言わせれば民主的でもリベラルでもない、トランプ並の「おばかさん」にすぎない。ガキなんだよ。保守とかリベラルとか言う以前にそういう思考は。そんなもんが「インクルーシヴ」だの「ダイバーシティ」の本義であるというなら、僕は「カス」だと思うね。