Scribble at 2025-06-28 15:05:52 Last modified: 2025-06-30 10:05:44
MD では何度か紹介したり話題にしてきたが、こちらでは殆ど言及していないので書いておくと、Papers We Love というコンピュータ・サイエンスの論文を1本ずつ取り上げて批評する読書会のようなものがあって、各国にチャプターが開設されていた。そして、各チャプターとなる地域で働いたり学んでいる人々が集まって、lighting talk のようなセッションを開催していたわけである。カンファレンスというほどの規模ではないし、セッションに参加するのは自由なので、特に会員制というわけでもない。たまたま近くを通ったカフェやフード・コートで、コンピュータ・サイエンスのペーパーを話題にしてお喋りしてる人たちを眺めるといった、かなり気軽な集まりであった。
サイトを見ると、最後のセッションが2023年だから、新しいセッションが開催されなくなって2年以上となる。公式の SNS には何も書かれていないが、おそらくは事実上の解散なり活動停止であろう。さほど強い制約もなく、組織的な活動というわけでもないようだったし、チャプターごとの活動を具体的かつ細かく管理するような人もいなかっただろうから、自然解消と言うべきなのだろう。
ただ、それぞれのチャプターでどういう活動だったのかを見ると、PWL は2014年から始まる活動だったのだが、多くのチャプターは2018年くらいまで、長いところでもコロナ禍が始まる2020年くらいまでしか活動しておらず、短いところでは2,3回ほど開催して終わりという事例もあった。もちろん、コンピュータ・サイエンスがいかに若い分野だとは言っても、読むべき古典的な業績が二つや三つなんてことはないわけで(個人としては二つか三つだとしても、集団のコンセンサスとして二つか三つで良いなんてことはないだろう。もしそうなら、そもそもこんなイベントは企画されない筈である)、海外のエンジニアは日本よりも学究肌の人物が多くて、実際に学歴も高いという印象があったのだけれど、やはりそういう人々が集まるサイトやフォーラムなどを観ていたことによる錯覚かもしれないと反省している。やっぱり海外でも目先のクソみたいなアジャイル案件や金儲けの方が大切なのだろう。
でも、それは別に構わない。アイビー・リーグでコンピュータ・サイエンスの博士号を得ていようと、凡人であることにかわりはないからだ。凡人に凡庸さ以上の成果を求めたり期待して非難するのは愚行である。河原に落ちている石に向かって、「なんでおまえは物質なんだ!」とか「どうしてお前は存在者なのか?」と怒ったり問いかけるのは(通俗的な「哲学者」になぞって奇行に走るのがお好きな、自意識大好きの無能か、あるいは精神異常ならともかく)、知性ある者の態度ではない。
そういうわけなので、MD では日本にチャプターが一つも開設されなかったことについて、東アジアのパソコン猿というか、ソウルなどにはチャプターがあるので、極東の島国のお猿さんと言うべきなのだろうが、ともかくこの国でシステム開発や IT に携わっている多くの自称エンジニアとか自称プログラマの類には失望していると何度か書いてきたのだが、まぁ海外でもそれほど大したことはやっていなかったわけだ。ちなみに、かつて僕は2015年頃に X で "How about a new chapter in Japan?" と問いかけて、イニシアチブを嘱望されたことはあるのだが、僕自身はコンピュータ・サイエンスの学位を持っているわけでもないし、古典的な論文を読んでエンジニアになったわけでもなく、またこれから具体的に何か読もうとしていたわけでもなかったから、学位をもつ人々に任せると(当然ながら英語で)応じたのだが、まぁ無理だろうとは思った。
都内の、イージーでデタラメな勉強会や lightning talk あるいはマスコミや官公庁からの注目しか考えていないパブリシティ優先のパフォーマンスばかり開催している、上場企業や IT ゼネコンの開発者や PM あるいは R&D 部門の人間というのは、要するに学者としてのキャリアを選択しなかった時点で学問や研究という動機づけがなくなってしまうからだ。そうして、いわゆる「えらいさん」になってから社会人向けの大学院に入りなおしたり、あるいは会社が莫大な寄付金を投じて客員教授になったり名誉博士号をもらうというのが、日本では産業界から学問に携わるときの定番のキャリア・コースらしいが、こんなものは(まともなレベルのプロパーならご承知のように)学問の世界においてはクソである。
ただまぁ、PWL の実情を見ると、別にこういうことはやってもやらなくてもいいことではあったと思う。結果だけを見れば、Papers We Love の成果なんて学問としても産業としてもゼロであり、結局は学位をもっている人々のスノッブ的な暇潰しに終わった感があるし、こういうことすらやっていない人々においては、やはり個々の人材が勝手に取り組んでやることに任せる他はないという話なのだろう。組織として、あるいは組織でなくとも集まって何かをやることに一定の成果を期待して、そのために何ができるかを考えて動かない限りは、単独で何かをやる人々の集積と結局は同じ効用しかないわけである。いや寧ろ、組織だと他人のスケジュールに影響されたり都合を合わせるコストがかかるだけ、非効率や不合理が生じるリスクがあるのだから、やはり「できる者が単独でやっていることを、オンラインのような public space で自由かつ勝手に突き合わせる」ことで、当人や第三者が成果を上げることに期待する方がよいという話になってしまう。「独立研究者」のような、僕に言わせれば「ワナビー」にすぎない下衆な連中はともかく(ああいう連中って在野とか言ってるくせに、思い描いてるゴールは絶対に女子大の客員教授とか、あるいは岩波書店から単著を出版することなんだよな。恥知らずが)、昔からいるアマチュアが既成の学術団体に所属しようとしないのも、そういう理由があるはずで、単に会費が高いとか推薦人がいないと入れないという理由だけではないだろう。