Scribble at 2025-06-20 11:31:33 Last modified: unmodified
1. 優秀なエンジニアが存在することは事実だが、「常に10倍の生産性」を持つ個人を絶対視するのは誤り。生産性の定義自体が環境やスキルセット、課題により多様すぎて一元化できない。
2. ソフトウェア開発の最小単位はチームであり、優秀な個人1人の生産性はチーム全体のボトルネックに左右される。チームが素早く、安全に、確実にコードを届けることのほうが重要。
3. 世界的に優秀な人材を揃えることより、「普通の」エンジニアが安心して成長し、価値を提供できる仕組みを作ることが大切。
4. デプロイサイクルを短く保つ、手順としても心理的にも手軽なロールバック、observability の確保、ガードレールを整え、誤りを防ぐUX設計、そして多様性と包摂性のある文化の醸成を推進する。
5. 組織は才能のある人を作る場所でもあり、世界レベルのエンジニアは、よい組織で育つ。最初から完璧な人材を求めるより、成長可能性に投資すべき。
以上の引用は Copilot の要約だが、おおむね正しい。内容についての是非はいちおう別だが、内容についてもソフトウェア・エンジニアリングの開発手法や組織論という観点では、正面切って反対するような人はいないだろう。もっとも、このところ思い上がった連中が「ソース主義」とかいう看板を出して、世の中には発達障害のような「神」のごとき才能をもつ人がいるので、凡人は彼らの邪魔をせずに、彼らの超人的な成果からのおこぼれをいただくべきであるとか、渋谷なり六本木なりの起業家・投資家向けの集会なんかで語っているらしいじゃないか。さすがは地方から馬鹿と人でなしが集まってくる東京ならでわの状況だが、もちろん当サイトに何度もアクセスしてくるような人々は、僕の文章を読んだうえで再びアクセスする気になっているのだから、そんなクソ理屈に 1mm も動かされたりはしないはずである。経済学としても、そういうトリクルダウン仮説が金持ちや既得権益をもつ人達の開き直りや弁明の屁理屈でしかないのは、既に実証としても理屈としても動かしがたいところに来ている。たとえば簡単な話、その手の理屈の急先鋒というか典型的な支持者である、ピーター・ティールとかホリエモンって、いったい彼らの事業が僕らの生活を 1mm でも改善したり向上させる役に立ってるのって問うだけで、答えは明白なんだよね。まぁ、YouTube や Abema の番組とかを毎日のように観てるていどの道楽をしていられる境遇の人であれば、番組を観て何某かの暇潰しができているというメリットは享受しているのかもしれないが。
で、僕らのように自分で「有能なエンジニア」を自認しているような人間から見ても、世界中でブログ記事やメディアの記事として何度も書かれているような馬鹿話、つまり任天堂の死んだ社長の英雄譚などで知られる「天才神話」みたいなものを繰り返してる連中というのは、要するに「クレクレ君」、あるいはもっと学術的な言い方をすれば Cargo cult という文化人類学の用語もあるのだが、どこかから素晴らしい品物とか研究成果とか技術とかが落ちてきて(それはアメリカ軍のヘリが落とす援助物資でもいいし、Yahoo! 知恵袋の回答でもいい)、僕らの生活がどんどん豊かになっていくという妄想に陥っているのだ。
こういう思考に陥る企業や組織、あるいはどういう単位でもいいのだが、それらが致命的に愚かな方針や基準を受け入れてものごとを評価したり判断してしまうのは、アメリカ軍だろうと天才プログラマだろうと、ともかく他人が何か自分の代わりに都合のいいことをやってくれるという錯覚や妄想に理由がある。自ら誰かのために努力したり才能を傾けることはかまわないし、そういうことは僕の実体験としてもあるわけだが(現に僕もクズみたいな給料でどれほどの規模や数の大企業のサーバを構築したり運用してきたかという意味では)、それは自発的なことがらにすぎず、誰かから命令されたり契約としてやっているわけではない。そういう人物がいて、そういうことをするかどうかは全くの偶然であり幸運でしかない。しかし、求める側は常に多数の側である凡人の欲求なのだから、いつもどこかで大勢が何かを求めているわけであって、それは偶然に起きるというよりも凡人であれば不可避的に何かが不足したり不全になるのだ。そして、そういう頻繁に起きる求めに応じていられる人など多くはいないので、ソフトウェア開発だろうと世の中を良くすることだろうと、どう考えても自分たちでなんとかするしかないに決まっているのだ。
そもそも、小学校から大学を出るまで何度も「民主主義」とか「民主的」という言葉を聞かされていながら、いったいこの国だけに限らず世の中の多くの人々は、仮に十分実現はしていない理想だとしても、それをいったいなんだと思って見聞きしているのだろうか。当たり前だが、僕はソフトウェア開発でクラスを定義するときにどんなメソッドを組み込むべきか多数決で決めよなどと言っているわけではない。ソフトウェア開発において組織やチームの中で一人の人間が特別扱いされるべきなのは、その人物が責任を追うべき役割を担っているからであって、東大を出ているからでもなければ、Preferred Networks から引き抜いたようなレベルのエンジニアだからでもない。日大出身の複素関数論も知らないオバサンであろうと、彼女が責任者であれば彼女の決断に従うのが組織というものであり、こういう現実の仕事としてやっている判断にアジャイルだの多様性だの包摂だの心理的安全性だのといった経営本のチンケな流行語は通用しない。