Scribble at 2025-04-10 10:11:42 Last modified: 2025-04-10 10:21:16

いわゆる「インターネット老人会」と呼ばれる世代の人々、あるいは若い人でも「インターネット考古学」と呼ばれる話題に関心がある方であれば、かなりローカルな話題ではあるが、かつて東北大学の黒木玄という教員が運営していた掲示板があったことをご存知だろうと思う。

これもログなどで分かると思うが、僕もいっときは利用させてもらっていたことがある。ただ、その当時は「UNIX 系の人々」は閉鎖的だといったコメントを書いて山形浩生氏にたしなめられたり、あるいは科学哲学専攻の学生だったということで、大森荘蔵氏や村上陽一郎氏らの(彼らからすると)奇妙な議論、たとえば微分や極限概念というのはインチキだとかいった議論についての解説なり釈明を求められたりしたことがあり、僕自身も既に超準解析くらいは知っていたし、数学あるいは自然科学の概念とかモデルが極限とか同時とか、ともかく理論的な set-up にコミットして成立していることを「インチキ」だと言っているような理屈(というか、日本で大勢を占めている「ソフトな科学哲学」あるいは科学に関する左翼的・ポモ的な与太話の類)には僕も違和感を覚えていたから、掲示板を利用しなくなった後も黒木氏あるいは東大の助手をされていた和田純夫氏などとメールをやりとりし続けていたのである。

もともと、僕が黒木掲示板を眺めるようになった経緯というか事情というか理由は、別の掲示板で行われている素人の勝手な議論に強い疑問をいだいたからだった。いまでも、たとえば大阪の建築士が主催している「類」と呼ばれるカルトなどにも言えるように、学識もなければ学術的な研鑽を積む意欲も努力もなしに、オンラインで学者と同じように論説を公に発表できるというだけで、オタクや素人というのは学歴コンプレックスが強い人であるほど自己顕示欲が発散されやすく、たちどころに「お手製のアカデミズム」を作ろうとしてしまう。そして、そういう人々が掲示板とかコミュニティ・サイトなどに集まってエコー・チェインバーをつくるわけだ。2000年前後には、パソコン通信からインターネットに移行して更に広く文書を公開できるようになったおかげで、そういうインチキなコミュニティが増えていった。そして、或る元新聞記者が中心になっていた掲示板(正確な名称も忘れたが、飲茶だか烏龍茶だか言った。ああ、当サイトでよく間接的に言及している哲学の通俗物書きとは無関係だ)での議論があまりにも勝手で未熟であり、また政治的な偏向を元にした理解などでネジ曲がっていたため、よく黒木掲示板で取り上げられていたわけである。

ただ、それから20年以上が経過してみると、なんだかんだ言っても黒木掲示板だってエコー・チェインバーで終わったのではないかという気がする。それが正規の大学教員や物書きでつくる established な場であれば「学会」とか「知の横断」であり、アマチュアであれば「カルト」とか「与太話」であるというのは、はっきり言って偏見でしかない。学者だって大半は視野狭窄あるいは頻繁に話題となるダニング=クルーガー効果に陥るリスクがある。ほんの一例だが、黒木氏は情報の検索においてもすぐれた技能をもつようだが、彼ですら自分のコンテンツを FC2 に置いていたりする。もちろん、FC2 というのは無修正の本番動画を配信している連中からの「あがり」で食っているような会社だ。登記がアメリカのペーパー・カンパニーになっていて日本の警察が手を出しにくかったおかげで業容を拡大して、ブログのホスティングなどという、お上品なサービスでまともなネット・ベンチャーであるかのような体裁を取り繕っているだけである。というか、こんなことは東北大学の学者といった素養や見識などなくても小学生ですら検索して分かることだ。

そういや、ウィキペディアの記事を読むと、岸くんも利用していたのだった。でも、僕が黒木掲示板にアクセスするようになったのは神戸大に行ってからなので、そのときは岸くんも大阪市立大へ移っていて疎遠になっていたし、彼は山形氏らのような中心メンバーではなかったと思う。それに、あの掲示板に集まっていた人々と岸くんとでは、やはり社会思想として噛み合わないところがあると思う。僕も、なんだかんだ言っても高校時代は機動隊のジュラルミンの盾を蹴っていたこともあるから、どうもあそこに集っていた人々の「科学」についての議論はともかく、それ以外については違和感をもっていた。

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