Scribble at 2025-03-30 07:02:31 Last modified: 2025-03-30 07:04:36
ふだんの、国内の出版事業者や編集者を罵倒している落書きからすると奇妙に思うかもしれないが、僕は彼らのように科学や哲学の研究コミュニティとマス・メディアとをコーディネイトするような活動は支持している。かなり前に書いた話なので多くの方が僕の意見だとは記憶されていないかもしれないが、僕は翻訳家や編集者あるいはイベントのディレクターでもいいのだが、こういう活動の業界なり業務としての質を向上させる必要があり、敢えて言うが「学会とマスコミのあいだでなにやらやってる学卒あるいはドクター崩れの出入り業者」みたいなものから脱する必要があると思ってるんだよね。
田舎の「ITコンサル」じゃあるまいし、翻訳家や編集者やイベントの企画者が、いつまでもそういう山師みたいなものとしてしか扱われないのは、良くないと思っている。そして、彼らの地位というものが業務なり業界として、それなりに安定することを望んでいる(もちろん establishment なんてことを期待しているわけではなく、あくまでも他の職業や業務と同じていどに尊重されるという意味だが。そして、これはウェブの制作事業についても言える筈だったのだが、MarkupDancing で書いたように、僕はこれにはもう期待していない。ウェブ・デザインやウェブ・アプリケーション開発は、たぶん無能な人間の掃き溜めのままウェブ・コンテンツの役割や意味の変容と共に、恐らくはワープロの入力業などが辿ったのと同じような経緯を辿って職業としての終わりを迎えるのだろう)。
ただ、そこへ行くまでの過渡期としては許されても、たとえば一部の翻訳家(はっきり言えば、山形浩生氏や青木薫氏)のように、本の表紙に原著者の名前よりも翻訳家の名前がデカく印刷されるような「スター」が出てくればいいかというと、そういうことではないと思う。あるいは、いつも書いていることだが「編集工学」を名乗っていた乱読オジサンあるいは東大クイズ王と大して変わらない雑学オバケを大思想家であるかのように扱ってきた都内の出版業者がやってきたような、インチキとしか言いようがないマーケティングで、編集や翻訳、あるいは「アウトリーチ」全般の業務や業界を美化しても無意味である。