Scribble at 2025-02-06 15:26:51 Last modified: 2025-02-06 15:47:38

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美学のテキストというのは、最近だと同じ東大出版会から小田部胤久氏のテキストが出ているけれど、あるていどの分量で概論や歴史や関連する芸術領域についても一定の理解を得るには、なんだかんだ言っても叢書や講座として何冊かのシリーズになっている著作を読むのが良いだろう。それだけ時間や手間もかかるし、場合によってはお金もかかるが、あるていどは仕方のないことでもある。正直、学問なんてやってもやらなくてもいいわけで、どのみち数十年もすれば誰でも死んでしまうわけだが、それでも生きているあいだの自己満足なり何かの義侠心や好奇心でやりたい人はやるのだから、どのみちやるなら自分でも納得行くようにやりたいものではある。

今道氏が編纂された講座シリーズを選んだ理由は他にもあって、まず僕が書店で美学や芸術の本を眺めていて圧倒的な不足を感じていた、アジア、中東、南米、アフリカといった地域の成果や歴史について、あるていどカバーされているということが目次を見て分かった。他にも、下世話な話としては「日本の古本屋」で5冊セットが1,500円だったという理由もある。送料を加えると2,500円くらいになったが、それでもバウムガルテンの文庫本を買うよりも安いのだから、まずは手に入れて目を通すだけの理由にはなるだろう。

ちなみに、こういう議論をすると決まって「美とは抽象的な概念なのだから、アフリカだの南米だのと特定の地域について知らなくても理解したり議論できるし、『そうあらねばならない』」なんてことを言う人がいるし、それどころか同じ理由で、アフリカの美術なんて知ったり学ばなくてもいいと言わんばかりの人もいたりするわけだが、僕はこれは世迷言だと思う。つまり、自分がそういう状況でも客観的だか抽象的だか、ともかく美の概念を理解するなり妥当に定式化したり議論できるという、どう考えても人類の歴史において立証や実証されたことなどない前提を最初に掲げているだけの妄想にすぎないからだ。アフリカの歴史を知らなくても「歴史」は議論できる。しかし、僕ら歴史や考古学の訓練を少しは受けている人間なら、少なくとも「僕らはアフリカの歴史はよく知らない」という自覚なり留保をして考えたり議論するものだ。自分が関わったりテーマとして取り上げる言葉が抽象概念の名前だからといって、それを用いるだけで自分が抽象的な思考を(しかも正しく!)している保証があるかのような錯覚に陥るのは、はっきり言って哲学科の学部生以下の素人だ。

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