Scribble at 2024-10-01 19:53:44 Last modified: 2024-10-01 20:12:28

なんか単純なやっかみで書いてると思われるに違いないので、もう少し噛み砕いて MarkupDancing でのスタンスを説明しておきたい。

僕は都内の上場企業や大企業で働いているような連中は、黙って自分で本でも買って勉強してろと言いたい。これは全く簡単な話で、金を持ってる人間はつまるところ時間も持ってるわけだから、自分で勝手に勉強するお金も時間もあるのだ(社会的な地位が上がると利害関係が複雑になって色々な時間を使うと言われたりするが、それは銀行の頭取とか上場企業の役員レベルの話だ。僕らのような部長クラスの職位しかない者が、「時間がない」などと愚かな発言をするものではない)。それでいて、僕らに何か書いてもらわないと科学哲学の勉強ができないとかわからないというなら、それは金も時間もあるのにわからない、つまり哲学的に言って無能ということだ。

これは、何も才能がないと言っているわけではなく、そもそも哲学する動機とか目的がないということである。動機や目的さえきちんと自分で見つけたりわかっていれば、それがたとえ思い込みや錯覚であろうと、自分で勉強したり考えるだけの人物だと言える。そして、僕は最低限の条件として、そういう人々に手を貸したいと思う。それがたとえ中学生だろうと AV 女優だろうと癌病棟にいる老人だろうと服役中のヤクザだろうとだ。逆に言えば、目的も動機もなくて、単に「数式も操れる文系の俺って格好いい」、みたいなことで科学哲学にツバをつけようなんてやつは、さっさと身の程を知って学問の道から脱落すればよいのだ。そういう意味での「無能」は、学問をやらなくてよろしい。

悪いね、僕は権威主義者だしファシストなので、無能な人間は学問に寄り付かないように差別するのが、市井にいるアマチュアの責任だと思うんだよね。ここで言うような意味での無能を学問の世界に近づけてはいけない(「だから、あんたも近づかないんだ」と思いたい人もいることだろうけど)。僕のようにポストモダニズムの著作に親しんだ経験がある者からすれば、philosophy for everyone とか、誰でもできる科学哲学とか、若者がサバイバルのためにトロッコ問題を考えるとか、あるいはフランスの高校生を見習おうみたいな話っていうのは、それこそがポストモダニズムで言うところの「暴力」だと思うんだよね。誰でもできるとか、誰にでも権利があるとか、そんなことは君らのようなスノッブの思い込みだよ。そして、それが出版業界とか文科省の刷り込みであることすら分かってないんだから、社会科学的には「幼稚園」並としか言いようがない。

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